１．無力

　『フラナの家』の朝は、パン粥の臭いで始まる。
　細かくしたパンを、バソウ乳と一緒に煮る。それに野菜サラダの入ったボール。おかずにゆで卵やソーセージが付くが、毎日代わり映えのしないメニューだ。
　子供たちは知っていた。そのパンは前日の残りものであることを。そして、アルマイトはパン粥に飽き飽きしていた。

「はい、どうぞ」
　恰幅のいい中年女性が、カウンターからお椀を差し出す。配膳をしているのは、フランカ・セレンディ。ローゲナ人の保育師だ。アルマイトは、表情を変えずにお椀をトレーに載せると、席に着いた。
「みんな、揃ったかね」
　コルエン園長先生が、テーブルに着く２０人ほどの子供に呼びかけた。この家には他に、マーシア・ワイツェルという女性保育師がいるが、年少組の部屋で支度をしている。学校へ行く年長組が食事を済ませた後、席に着くのだ。
「先生、まだサリーが来てません」
　アルマイトが手を上げた。確かに、彼の向かいの席は空いている。園長先生が眉をひそめたその時、食堂の入口に一人の少女が駆け込んできた。紅色の髪を後ろで束ねており、褐色の瞳と肌から、オルゲナであることが分かる。
「おはよう、サリー」
　園長先生は何事もなかったように挨拶する。サリーは一礼するとお椀を受け取り、慌てて自分の席に潜り込んだ。
「それでは、お祈りをしよう」
　園長先生の言葉に、皆は左手を胸に当てた。
「アルバ様、今日も私たちをお守りください」
　お祈りが済むと、一気に辺りは騒がしくなった。アルマイトは浮かぬ顔で粥をかき込むが、向かいのサリーは、時々あくびをしながら粥を口に運んでいた。
　ともかく、朝食は滞りなく済んだ。五年生のアルマイトは、マリィたち低学年の子供たちとスクールバスを待っていた。隣では、サリーが相変わらずあくびをしている。六年生だが、早生まれのせいか、もっと年上に見える。
「また夜更かししてたんだ」
　アルマイトの問いかけに、サリーは答えなかった。代わりにカバンから本を取り出す。茶色の表紙で、かなり厚い本だ。アルマイトはタイトルをのぞき見ようとしたが、バスが到着したので、チャンスを失ってしまった。
　バスの中で、サリーはあくび一つせずに本を読みふけっていた。

　その日の放課後。アルマイトは、イニセイの学校代表チームの練習のため、いつもより遅く学校に残っていた。着替えを済ませて外に出ようとすると、中二階の踊り場に不自然な人だかりができていた。
「こいつ、喋れねえのか」
「授業でもだんまりだもんな」
　そんな声が聞こえてくる。不安を感じて、アルマイトは人だかりに駆け寄った。
　六年生の男子生徒たちが五人、本を抱いたサリーを取り囲んでいる。アルマイトは思わず叫んだ。
「何してるんだ！」
　上級生たちは一斉に振り向き、アルマイトを見る。中でも、一番大柄な生徒が向かい合った。
「邪魔すんなよ」
脇でサリーを固めていたのっぽの生徒が口を出した。
「こいつ、『フラナの家』の子だ」
「なーんだ、サリーとおんなじか」
　大柄がバカにしたように言い捨てたが、アルマイトは全くひるまない。
「サリーが何をしたんだ」
「俺にぶつかったのに、謝ろうともしないんだ」
大柄が大げさに脇腹を押さえる。のっぽがサリーの腕の本をつかんだ。
「こんなの読みながら歩いてるからさ」
「やめて！」
　初めてサリーが声をあげた。腕を硬くして必死に拒む。にらみ合っていたアルマイトが一歩踏み出した。そのまま手を伸ばす。
「サリー！」
怯えきっているサリーは動けない。そこに上級生たちが飛びかかった。アルマイトはサリーの前に立ちふさがろうとしたが、複数に羽交い締めにされて動けない。
「お、殴りやすそうなあごだ」
言葉と同時に、大柄の拳がアルマイトに命中する。後はされるがままだ。
「かえしてーっ！」
　サリーの悲鳴が虚しく響き渡る。のっぽが本を取り上げたのだ。大柄が命じる。
「捨てちまえ」
　のっぽは見せつけるように本をアルマイトの前で振ると、窓から投げ捨てた。そのまま皆は家路についた。痛めつけられたアルマイトと、泣き崩れるサリーを残して。

　どれほどたったろう。アルマイトはうっすらと目を開けた。辺りはすっかり闇に沈んで、耳にすすり泣く声が聞こえる。アルマイトは必死に呼びかけようとするが、うめき声にしかならない。
「ウ……ァ……」
　その声が聞こえたのか、すすり泣きが止んだ。やがて、視界にサリーの顔が入った。暗くてよく分からないが、まぶたが腫れ上がっているようだ。必死に謝っている。
「ご……ごめんなさい」
アルマイトは喋ろうとするが、口がうまく動かない。手足も痺れて、起きあがることができない。その時だ。
「どうしたの」
　階段の下から、女性の声がしたかと思うと、小走りに階段を駆け上がる音がした。
「まあ！」
　学校保健士のダリヤ・ハルカニだ。オレゲナの若い女性で、いつも優しく手当をしてくれることから、生徒にも慕われている。
　柔らかい手が、アルマイトのあごに触れた。苦痛で顔を歪めるアルマイトを見て、顔を曇らせる。
「保健室で手当てしましょう」
ダリヤは、アルマイトの肩に手を回すと、立ち上がらせた。しかし、サリーはそわそわと窓の外を見ている。
「ちょっと待って」
サリーは思い詰めた表情で言うと、階段を駆け下りた。
　ダリヤはひとまず、アルマイトを保健室へ連れていった。医療キットの検査では、全治３日の打撲という結果が出た。湿布を貼りながら尋ねる。
「階段から落ちたの？」
アルマイトは頭を振った。
「それじゃ、殴られたの？」
　再びダリヤが尋ねた時、サリーが保健室に入ってきた。左手には、薄汚れた本が握られている。アルマイトの代わりにサリーが口を開いた。
「私を、かばって……」
「殴ったのは誰だか、分かるかしら」
のぞき込むようにサリーを見つめるが、サリーはうつむくだけだ。
「無理に言わなくてもいいわ。もうバスもないし、私の車で送りましょう」
ダリヤはサリーに目配せすると、保健室のカードキーを取りだした。

２．正論

　エアカーの窓ごしに、立派な邸宅が流れていく。アルマイトは、ぼんやりと外の景色を見送っていた。学校の生徒たちは、ほとんどこの近辺の住民だ。
　フラナは内乱の時も戦火が及ばなかっため、ルーガ屈指の大都市に成長した。中心部には政治家や重役の邸宅が並び、郊外には周辺の町から集まった難民が住み着いている。『フラナの家』があるフラナ・カリ教会は、中心部近く、木々に囲まれた敷地の中にある。コルエン園長がかつてこの教会の司祭長だった縁で、司祭たちの宿泊施設を借りることができたのだ。戦災孤児のアルマイトたちにとって、ただ一つのよりどころだ。
　引かない傷の痛みよりも、自分がなんの役にも立たなかったことが、アルマイトの心を湿らせていた。
（あの時、チカラを使ってれば……でも、サリーに迷惑がかかるし。僕はどうすればよかったんだ）
いくら考えても答えは出ない。隣の席ではサリーが、今にも泣きそうな表情で本のページを整えていた。そこにダリヤの声が響く。
「着いたわ。アルマイト君、明日また手当に来てね」
　出迎えたマーシアは、ただならぬことが起こっているのは分かったが、すぐにいつもの笑顔で話しかけた。
「もうすぐ夕ご飯よ。手を洗ってらっしゃい」
マーシアに事情を説明しているダリヤを後目に、二人は食堂へ向かった。
　夕食は、魚のフライに野菜サラダ、スープ。それにパンが付く。いつも代わり映えしないメニューだ。あごが痛いので、アルマイトはうまく食べられない。サリーは心が痛むのか、やはり食が進まない。アルマイトは早々に席を立つと、部屋に戻っていった。

　風呂もすませ、ほとんどの子供たちは寝室に引き上げていた。アルマイトも、自分のベッドに入っていたが、お腹が空いて眠れない。その時、寝室のドアが開き、サリーが顔を見せた。アルマイトの側に来ると、静かに呼びかける。
「一緒に来て」
いぶかりながらも、アルマイトは起きあがった。
サリーが向かったのは、二階の食堂だ。手にはさっきの本が握られている。ドアを開けると、申し訳程度に蛍光灯が点り、なにやら皿が置かれている。近づいてみると、中身は湯気が立つパン粥だ。サリーがおずおずと話し出す。
「あの、これなら食べられるかと思って」
　折角の好意をむげにするわけにも行かず、アルマイトは皿の前に座った。スプーンを取ると、一口すすってみる。
（うまい）
　暖かくて甘いバソウ乳に、細かく割いたパンが入っている。いつもの朝食とは大違いだ。半分ほど食べたところで、アルマイトは顔を上げた。サリーは隣に座り、さっきの本を広げている。
「これ、君が？」
「フランカ先生に頼んで、作ってもらったの。バソウ乳に、蜜湯用の蜜を足してもらって、パンも夕食のだから硬くないし」
「ちょっと見せて」
ずっと本の内容が気になっていたアルマイトは、思い切って尋ねた。サリーは少しためらった後、本にしおりを挟んで差し出した。表紙には箔押しで、タイトルと著者名が見える。
『銀河の大家族　アイリー・ノーブル』
（どこかで聞いたことがある）
　ページを開くと、銀河系の星区図が載っている。アルマイトはようやく思い出した。
「これ、宇宙探検家の」
「ええ」
サリーは照れたようにうつむいた。
「宇宙か。僕もいつか行くんだ」
　アイリー・ノーブルは、バード勃興期に宇宙を駆け巡り、知られざる星区を次々に探査していった探検家だ。宇宙地理の授業で最初に教わる人名である。本を返しながら、アルマイトは尋ねた。
「いつもいろんな本を読んでるね」
サリーはうつむいたまま答える。
「本の中では、誰も邪魔しないから」
　アルマイトは、サリーにかつての自分を重ね合わせていた。ここに来たばかりの頃、アルマイトもなかなかとけ込めず、先生たちを困らせていた。ハガンや先生たちと心が通じ合い、同じ境遇の子供たちと暮らすうちに、淋しくても耐えられるようになったのだ。その頃から、サリーはおとなしい、手のかからない女の子だった。だが、ずっと不器用な生き方をしてきただけなのかもしれない。
「明日、本当のことをハルカニ先生に話そうよ」
「でも」
サリーは渋っている。アルマイトは本を差し出しながら力強く言った。
「このままじゃ、君にも、あいつらにも、よくないと思うんだ」
　サリーは無言で本を受け取ると、続きを読み始めた。アルマイトは、これ以上サリーを追いつめても仕方ないと思い、食事の続きを始めた。

　翌日。先生の手当のお陰か、あごの腫れは目立たなくなっていた。アルマイトはサリーの様子が気になり、昼休みに六年二組の教室に向かった。廊下からのぞき込むが、サリーの姿はない。その代わり、昨日の男子生徒たちと目が合ってしまった。とっさに逃げ出そうとするが、彼らも後を追ってくる。アルマイトは階段を一階まで駆け下りると、保健室に飛び込んだ。
　室内にはハルカニ先生と、サリーがいた。思わず後ずさりしようとした拍子に、ドアを開けてしまった。追い掛けてきた男子生徒たちと鉢合わせしてしまう。
「ちょうどいいわ、いらっしゃい」
部屋の奥で、ダリヤの声がした。男子生徒たちは逃げだそうとしたが、アルマイトはとっさに大柄の体をつかんだ。
「こいつ！」
「乱暴はやめなさい！　話し合いをしたいの」
ダリヤは皆を保健室に入れた。
　サリーたちと男子生徒たちが向かい合う。アルマイトはここで初めて、大柄がネスト・クレータ、のっぽがレニー・ミモという名前だと知った。
「あなたたち、アルマイト君を殴ったわよね」
　数人がうなずくが、ネストとレニーは表情を変えようとしない。
「どうして殴ったのか聞かせてほしいの」
「そりゃあ、こいつが飛びかかろうとしたから」
「嘘だ！　僕はサリーを守ろうとして」
抗議するアルマイトだが、ネストは堂々と言い放った。
「そもそも、サリーが俺にぶつかったからいけないんだ」
現場を見ていないアルマイトには反論のしようがない。ダリヤがサリーをうながす。
「サリー、さっき私に話したことを、もう一度言ってみて」
立ちすくむサリー。アルマイトは、サリーの右手に触れると、心中でささやいた。
（勇気を出すんだ。言いたいことがあるんだろ）
「……だめ」
　サリーは右手をふりほどくと、カーテンの後ろに駆け込んだ。
「用がないなら、帰るぜ」
勝ち誇ったようにネストたちが部屋を出る。アルマイトは、その背中に向かって叫んだ。
「卑怯だぞ！」

　放課後。アルマイトはあごの怪我を言い訳に練習を休むと、保健室に向かった。手当のためと、サリーのことが気になったのだ。案の定、サリーは保健室で読書していた。半分ほど読み終わっているようだ。
「どうしてさっきは」
話しかけたアルマイトを、ダリヤが制した。
「誰にでも言いにくいことはあるわ。大事なのは、これ以上被害者が出ないようにすること。あなたの態度は立派だけど、力だけでは解決しないこともあるのよ」
「でも、このままじゃまたいじめられるよ」
アルマイトには納得がいかない。
「六年の先生方にも報告しておくわ。今日のところはサリーさんを送ってもらえるかしら」
　ダリヤの頼みを聞いて、アルマイトはサリーと一緒に保健室を出た。サリーはすっかり怯えてしまっていた。注意深く辺りを見回しながら歩き、バスに乗る時も、中を見回してから乗り込む。
　サリーをどうやって勇気づければいいのか。バスに揺られながら、アルマイトは考え続けたが、答えは出なかった。

３．前進

　その夜、アルマイトは部屋で読書を続けるサリーを呼び出した。サリーはしぶしぶ、本にしおりを挟んで立ち上がる。
　二人が向かったのは、二階にある「お祈りの間」だった。運命の神アルバを奉る祭壇がある個室は、本来の目的とは別に、子供たちの隠れ家としても利用されていた。アルマイトが絨毯に座ると、向かい合ったサリーが話しかけてきた。
「昼間、私に話しかけてきたでしょ。あれってテレパシー？」
「ごめん。みんなに聞かれたくなかったから、つい」
　マーシア先生に諫められていたのに、またやってしまった。ばつが悪いのはアルマイトの方だ。
「でも、やっぱりこのままじゃいけないよ。あいつらは、サリーが怯えるのを見て楽しんでるんだ。戦えなくても、マリィみたいに泣き叫べば、びっくりして逃げていくよ」
　サリーの表情がこわばった。アルマイトの心に、声が響いてくる。
（無理よ。私にできるのは、隠れるだけ）
　その言葉を聞くと、アルマイトには無理強いすることはできなかった。戦場を逃げ回ることしかできなかった記憶が、サリーの心に重しとなってのしかかっているのだろう。アルマイトはサリーの抱えた本を見ながらつぶやいた。
「あーあ、こういう時どうすればいいか、答えを書いた本はないのかな」
「面白いこと言うのね。そんなこと考えたことなかった」
　サリーの口元がほころんだ。
「明日は校外実習だろ。なるべく先生の近くにいた方がいいよ。どこに行くの」
「パン工場よ」
「良かった。僕もだ」
アルマイトは（できるだけサリーの近くにいよう）と心の中で決めた。

　翌朝。サリーはまた朝食に遅刻した。どうやら、夜っぴき本を読んでいたらしい。アルマイトに興奮気味に話しかける。
「ノーブルさん、子供の頃はいじめられっ子だったの。どうしていじめられるのか、ずっと考えてたんだって。それで、誰もいじめる相手がいない、遠いところに行きたくて、探検家を志願したの。でも、探検を続けるうちに、命のある惑星がどんなに貴重なものか分かってきてね……」
「続きはバスで聞くよ」
アルマイトはサリーが元気になったのを喜んだが、食事が進まないのは困りものだった。

　校外実習とは、生徒たちが市内の工場や公共施設に出向き、施設の見学や仕事の体験をする授業だ。上級生と下級生に別れ、スクールバスで希望の場所に向かう。二人が向かうパン工場は、給食用のパンを作っているところだ。
　スクールバスに乗り込んだアルマイトは、ネストとレニーが後部座席に座っているのに気付いた。サリーの姿を探したが、このバスには乗っていないようだ。アルマイトは一瞥をくれると、前の座席に座った。
　パン工場で、別のバスから降りてきたサリーを見つけたアルマイトは、できるだけ近くにいるように心がけた。ネストたちは仲間で楽しんでいるようで、幸いサリーのことは気にかけてないようだ。皆は白衣や帽子、手袋をつけて、工場の見学に向かう。
　工場でパンができていく過程に見入っていたアルマイトは、ネストたちのことをつい忘れてしまった。サリーも熱心にメモを取っている。
「みんな、見学が済んだらパン作りの実習に入るぞ」
サリーの担任のシレール先生は、皆に呼ばわるために側を離れてしまった。後を付いていこうとしたサリーだが、工場の片隅にある青いプラスチックのコンテナが目にとまった。
「ねえあれ、いつもうちにパンを運ぶやつじゃない」
「本当だ」
蓋の横に、『フラナの家』と書かれている。アルマイトは真面目な顔でつぶやく。
「だから給食のパンと同じ味だったんだ」
「そういう事じゃなくて」
　サリーがあきれ気味にたしなめた時だ。背後からあざけり笑う声が聞こえてきた。
「おい、あれ売れ残りのパン入れじゃないか」
「もったいないから『フラナの家』にあげてるんだよ」
振り向かなくても声の主は分かる。ネストとレニーだ。
「行こう」
アルマイトはサリーの手を引っ張った。このままではまた爆発してしまいそうだ。だが、サリーは動こうとしない。静かに振り向くと、口を開いた。
「違うわ」
　いつの間にか、ほとんどの生徒は先に向かっていた。サリーの手が固く握られていく。
「じゃ、きっと出来損ないのパンなんだな。真っ黒けの」
ネストが追い打ちをかける。サリーは手をほどくと、コンベアの向こうに回り込んだ。
「何するんだ！」
こんなに興奮しているサリーは見たことがない。アルマイトは慌てて後を追った。サリーはコンテナの蓋をはねのけると、中からパンを２つ取りだした。そのまま二人に差し出す。
「食べてみて。給食のパンと同じよ」
サリーの迫力に、二人はたじろいでいる。そのまま互いの顔を見つめると、パンを受け取った。
「わ、悪かったよ」
「じゃあな」
そのままそそくさと走り去る。サリーはコンベアに両手をつくと、うなだれるように膝をついた。アルマイトはそっと蓋を閉めると、サリーに駆け寄った。
「やったじゃないか」
アルマイトは感嘆の声をあげたが、サリーは無言で震えている。
「立てるか？」
何度も呼びかけると、ようやくサリーは立ち上がった。静かにつぶやく。
「許せなかったの。だって、あのパンは」

　サリーは、歩きながら話し出した。
「『フラナの家』ができた頃は、何もかも足りなかったんだって。園長先生は教会の人たちに掛け合ったけど、バード星からの物資はなかなか届かないし、教会にもお金がなくて。毎日の食事や着替えの服も満足に揃わなかったって」
アルマイトは、サリーよりも遅れて『フラナの家』に来たので、初期の混乱についての記憶はない。だが、今よりも倍の子供がいて、自分の居場所はベッドの中だけだったことは覚えている。時々バード星から物資が届くと、お祭り騒ぎになったことも。
「みんな困ってる時、ここの工場長さんが、園長さんの頼みを聞いてくれて、パンを安く売ってくれるようになったの。それからずっと、お昼にパンを運んでくれてるんだって。パン粥を作ってくれた時、フランカ先生が話してくれたの」
「そうだったんだ」
　アルマイトはサリーの怒りが理解できた。と同時に、パン粥を疎ましく思っていた自分を恥ずかしく思った。
「男の子たちに本を取られた時、私何もできなかった。でも、みんなが私たちのために苦労してくれたパンに、あんなこと言うなんて」
サリーは目の端を白衣の袖でぬぐった。
「おっと、急がないと実習が始まっちゃう」
アルマイトは歩を早めた。

４．対決

　翌朝。いつものようにパン粥が出されると、アルマイトは笑顔で頭を下げた。
「おや、どうしたの」
よほど機嫌がいいように見えたのか、フランカ先生が尋ねる。
「いつもありがとうございます」
それだけ言うと、アルマイトは席に戻っていった。
　今日はしっかり食べなくてはいけない理由があった。六年の代表チームと、イニセイの練習試合をするのだ。最近休んでいたので、うまく動けるか心配だ。気を紛らすため、アルマイトはサリーに話しかけた。
「あの本、読み終わった？」
「もちろん。４２星区の惑星巡りの話が素敵だったな。第三惑星はバード星そっくりの青い星なんだって。今度、図書館で調べてみようっと」
「じゃあ、僕は『宇宙の大家族』を借りようかな」
生き生きと話し続けるサリーを見て、もういじめられても大丈夫だろうとアルマイトは思った。

　放課後、学校のイニセイコートには五年と六年の代表チームが集まっていた。コートの周りは生徒たちで人だかりができている。
　六年チームと挨拶をしようとして、アルマイトは固まった。ネストとレニーの顔を見つけたのだ。
（ちょうどいい。ここでやっつけてやる）
二人の敵意が、声となって伝わってくる。アルマイトは身を引き締めた。
「始め！」
　審判のシレール先生が右手を挙げた。生徒たちが四方に散る。イニセイは一チーム１０人で、ゴム鞠大のボールをリレーしながらネットにゴールするゲームだ。遠くからゴールすればするほど得点が高くなる。アルマイトは切り込み役だ。ネストはコートに残ったが、レニーはゴールポストの前に向かった。キーパーをするのだろう。
　前半は五年チームが押し気味に試合を進めたが、得点は入らない。ネストの指示でアルマイトが徹底的に動きをマークされ、思うように動けないのだ。このままでは埒があかない。アルマイトは休憩時間にチームメイトたちと作戦を錬ることにした。
「とにかく、ボールで敵を引きつけてくれ。その間にゴール前まで行くから」
　後半が開始されると、アルマイトは真っ直ぐゴールポスト目指して走り出した。早速ネストが近づいてきた。しかも、すれ違い際に足を引っかけようとする。
「何するんだ！」
間一髪よけたアルマイトが抗議するが、先生はボールを見ていて気付いていない。その時、ボールを持った一団が近づいてきた。このままではまたマークされてしまう。アルマイトは勝負に出ることにした。
「こっちだ！」
　アルマイトは再び走り出した。後はボールが回ってくるのを信じるしかない。はたして、ゴール方向にこぼれ球がバウンドしてきた。ネストが取りに走る。アルマイトも飛びつこうとする。アルマイトの手にボールが触るのと、ネストが蹴り出そうとするのがほとんど同時だった。
「ウッ！」
　砂煙の中にアルマイトのうめき声が上がった。先生が駆け寄る。アルマイトの左手はネストに蹴られて血が出ていた。その代わり、あごと右手でボールをしっかり押さえている。
「ネスト、気をつけろ。今度やったら退場だぞ」
先生に注意され、ネストは渋々うなずいた。
「あごだって役に立つんだ」
アルマイトはつぶやきながら立ち上がった。ボールは一旦仕切り直しである。
「手は大丈夫か」
「はい」
　アルマイトは先生に力強く答えると、ボールを持ってコートの外に向かった。ボールを仲間にパスすると、そのままゴール前に走り込んだ。
「アルマイト！」
　ボールが投げ返される。アルマイトはそのまま右手で受け取ると、レニーの死角を探した。ボールの持ち時間はわずかしかない。アルマイトは手元でボールを高く弾ませると、飛び上がって叩きつけた。
（行け！）
ボールは、ゴールポストとレニーの手の間をすり抜けていった。

　試合は、五年チームの勝利に終わった。アルマイトは、皆の祝福も早々に保健室に向かった。
「良かったわ。ただのかすり傷よ」
ダリヤはやさしく傷薬を吹きかける。
「ところで、サリーさんは元気にしてるかしら」
「今朝は元気だったよ」
「そう。ここに来ないからもう大丈夫かな。じゃ、お風呂の後に絆創膏を取り替えてね」
ダリヤは絆創膏を手に貼り付ける。その時、保健室の扉が開き、サリーが入ってきた。
「ケガ、大丈夫？」
心配そうな表情とは別に、アルマイトは彼女の手元に握られた本に目がいった。
「かすり傷だよ。それより、試合見てたんだ」
「うん。あのゴール、すごかったな」
「ありがとう。ところで、その本は」
アルマイトの問いに、サリーは本の表紙を見せた。『宇宙図鑑』と書かれている。
「今夜一緒に見ない？」
「ああ」
楽しそうに話す二人を、ダリヤは笑顔で見守っていた。

★　イラストについては、『朝日ヶ丘スミレ団』内の空想世界のパーマン　〜大田 康湖さんの世界〜 を参考にして下さい。管理人はおっけっ！！さんです。