カタニアム難民キャンプ。ここではルーガ内乱で家を追われたルメゲナ系の市民が暮らしている。内乱から二年が経過しているが、相変わらず平和への道筋は見えなかった。
　近隣の町から集まった人々は、仮設の住宅や居住テントで暮らしている。そんな人々の中に、一組の母子の姿があった。アルミナ・カラコルムと、息子のアルマイトである。
　ルメゲナ系の市民がほとんどを占める中、明らかに外見が違うアルマイトは、なかなか子供たちにとけ込めなかった。元気はあるのだが、どうも相手の顔を見ると引っ込み思案になってしまうのだ。アルミナは心配していたが、無理強いはしたくないので、そっと見守っていた。
　この日も、アルマイトは一人で遊んでいた。駐車場となっている空き地で、円盤のオモチャをひもで縛って振り回している。
　「ヒューン、ヒューン」
　この円盤は、アルマイトが家から持ち出すことができたただ一つのオモチャだった。内蔵電池も切れ、あちこちはげているが、アルマイトの宝物だ。
「よーし、もっと早く！　うわっ！」
　アルマイトがさらに激しくひもを振り回したので、ひもが切れて円盤が飛んでいってしまったのだ。あわてて取りに走る。
　円盤が落ちた地面の先には、アルマイトより少し大きいルメゲナの男の子が立っていた。当然の権利のように、円盤を拾い上げる。息せきってやって来たアルマイトは、大声で抗議した。
　「それぼくのだよ、かえして！」
　「見つけたのは僕だぞ」
　男の子は円盤を胸に抱きしめた。オモチャが欲しいのは彼も同じなのだろう。
　「ぼくんだ！」
　アルマイトは円盤めがけて飛びついたが、とっさに庇った男の子の右手に阻まれる。右手をひっかかれた男の子は、空いた左手でアルマイトの髪の毛を掴んだ。むしゃぶりつくアルマイト。後はもうとっくみあいだ。
　最初は軽くひねれるだろうと思った男の子も、アルマイトの予想以上の力に驚き、円盤を放り出した。だが、必死に男の子の体にしがみつくアルマイトには見えてない。やがて、らちが明かないと悟った男の子は、吐き捨てて逃げ出した。
　「もういいよ、こんなボロくれてやる」
　アルマイトは起きあがると、服の袖で顔をこすった。そして辺りを見回す。が、円盤は見あたらない。
　「……どこだろう」
　膝をついて立ち上がろうとしたその時、足下でいやな音がした。おそるおそる足をどけてみると、無惨に壊れた円盤の残骸がある。アルマイトは残骸をつかんでへたり込んだ。今までこらえてた涙が一気にあふれ出る。それは悔しさか、ケンカの痛みか、宝物を失った悲しさか、彼自身にも分からなかった。

　アルミナは、食事の時間になっても息子が戻ってこないので、気に病んでいた。いくら戦場から離れているとはいえ、何が起こるか分からないのだ。インテバンを離れてからの日々で、痛いほど身にしみている。呼びに行こうかと立ち上がった時、入り口から小さな影が入ってきた。埃まみれの服、腫れ上がったまぶたにアルミナの目が釘付けになる。
　「アルジェ、どうしたの！」
　「なんでもないよ」
　ポケットに手を突っ込んだまま、アルマイトはぼそっとつぶやく。アルミナはその肩に手をのばした。
　「なんでもないわけないでしょ。ほら、着替えて」
　「いいよ、ぼくがやる」
　アルマイトは物陰で服を脱ぎ始めた。アルミナはその不自然な態度に疑問を感じたが、その場ではこれ以上言わなかった。

　その夜、アルマイトが寝静まった後で、アルミナは息子の脱いだ服を取り上げた。あちこちに綻びがある。
　（ケンカでもしたのね。洗濯の後で繕わなくちゃ）
　ポケットに何かが入っているのに気づいて、アルミナは取り出してみた。ひしゃげた円盤のオモチャだった。何をこらえていたのか、ようやく彼女にも理解できた。息子の寝顔に顔を寄せ、くしゃくしゃの髪をそっとなでつける。
　（まだ子供なのに、気ばっかり一人前なんだから。それにしても）
　彼女は息子が時々見せる察しの良さが気になっていた。精神能力を持っているとしたら、いずれは診断を受け、場合によっては適切な制御プログラムを受けねばならない。父親のノウリスも精神能力を持っているので、「覚悟はしておいて欲しい」と言われていたのだが、その父親は行方知れずなのだ。
　（アルジェには私しかいないんだもの。くよくよしてられないわ）
　自分を励ますように、アルミナは立ち上がった。

　翌日。食事が済むとアルミナは洗濯物を手に出ていこうとする。昨日のことを思い出したアルマイトは、自分の昨日着ていた服を取り戻そうとした。
　「ママ、ぼくの服は？」
　「お洗濯するのよ。ポケットの中の物は出しといたわ」
　アルミナは左手を差し出した。そこには円盤のオモチャが載っている。秘密はあっけなくばれてしまったのだ。ばつ悪そうにしているアルマイトに、アルミナは優しく話しかけた。
　「覚えてる？　これ、アルジェの五つの誕生日に、パパが買ってきてくれたのよね」
　「うん」
　アルマイトはかすかにうなずいた。あれからもうすぐ二年になる。

※
　インテバン郊外の小さな家。外は冷え切っていたが、暖房の効いた室内では、明るい声があふれていた。
　「ほーら、お前の欲しがってた円盤だぞ」
　芝居っ気たっぷりに箱を差し出す父親のノウリス。アルマイトは早速箱を開けると、円盤を持ち上げた。
　「うわーっ、バードマンが乗ってるのとおんなじだ！」
　「ハハハッ、超高速では飛べないぞ」
　照れ笑いするノウリスに目もくれず、アルマイトは円盤を光らせて夢中だ。
　「アルジェ、遊ぶのは後にして。ごちそうが冷めちゃうわよ」
アルミナの声で、ようやく我に返ったアルマイトは、ごちそうの待つテーブルへと向かった。

※
　「壊れてもパパの気持ちがこもっていることに変わりはないわ。そうでしょ」
　アルミナは膝をつくと、円盤を差し出した。その目が潤んでいる。
　「……うん」
アルマイトの口から思わず言葉が出た。手が自然に伸びて円盤をつかむ。そのまま、大きな胸に抱かれる。
　「あんまり我慢しないで。ママ、アルジェが甘えてくれた方がずっと嬉しいの……だって、ママの宝物……だもの」
　アルミナの瞳から流れ出た涙が、アルマイトの髪にかかる。アルマイトは、母親の動悸の向こうに、言葉では言い尽くせない慈しみの心があふれていることを感じていた。そして、ようやく気づいたのだ。母親は自分のように、相手の気持ちや思考がのぞけるわけではないということに。
　自分が他の子供たちと違うのは、外見だけではない、そうアルマイトが自覚するのに、それからさして時間はかからなかった。