１．爽やかなパーチ
僕たちが通うバードマン養成学校、もとい銀河連邦職員養成学校クラム校では、毎年恒例の卒業記念パーティが始まろうとしていた。体育館には「養成学校１８期生卒業おめでとう」と書かれた幕が掛かり、食堂から運び込まれた軽食やスイーツ、ソフトドリンクや酒が壁際に並んでいる。卒業生たちは各自ドレスアップしてダンスをするのが毎年の習わしだ。
「イリメン、なかなか似合ってるじゃないか」
僕がロッカー室の鏡の前でアップにした赤毛に巻いた緑色のリボンを整えていると、アルマイト・カラコルムが話しかけてきた。
「ありがとう。そっちはもう終わったかい？」
「ええ、バッチリよ」
隣の鏡の前でしなを作るアルマイトは金髪のカツラにピンク色のドレス姿だ。手には今引いたばかりの口紅を持っている。
「さすがアルジェ。この迫力は立体映像では出せないな」
「学生最後のパーティーだからって、みんな女装しすぎだろ」
イムール・ゲインとインガ・ホウが僕たちの背後から突っ込んだ。二人はドレスではなく派手なスーツ姿だ。
「ケネスさんとミノンマさんが男装するからな。ならばこっちが女装するのが礼儀というわけさ」
アルマイトは胸を張る。
「自前で髪が作れるイリメンの方が出来がいいな」
イムールが僕の方に顔を向けた。リボンに合わせて緑色のドレスを着ているが、さすがに女ものの靴はサイズが合わないのでブーツを履いている。
「くれぐれもダンスで転んで怪我したり、酒を飲み過ぎて倒れたりするなよ。医療部の先輩たちに恥ずかしいし、俺だってパーティーを楽しみたいんだ」
ビデオカメラを持ったインガが釘を刺す。
「もちろん。アルジェがケネスさんにアピールする大事なチャンスだからね」
僕の言葉にアルマイトはかつらを直しながら答えた。
「ケネスさんは養成学校の教官、あたしはパトロール母艦勤務だから、これからはなかなか会えないだろうしな。卒業する前に心残りはなくしておきたいんだ」
「そういうイリメンだって、ミノンマさんとはどうなんだい」
イムールが僕に話を振った。
「どうって、時々一緒にお菓子を作って食べる友達だよ。彼女もパトロール母艦勤務になるから、休暇の時くらいしか会えないけどね」
「あたしに遠慮することはないから、イリメンも言いたいことは言った方がいいぞ。それじゃそろそろ入場するか……ヘコ!」
勢いよく立ち上がったアルマイトだが、ドレスの裾を椅子に引っかけて転びかけた。とっさに僕が受け止める。
「おいおい、本番にはまだ早いぞ」
ペアダンスのようにアルマイトの右足が上がったのを見て、インガが茶化した。
立体映像でダンスホール風に飾り付けられた体育館の中央には、ダンスのパートナーを選ぶ人だかりが出来ていた。その中から白のスーツを着たサライラ・ケネスと、紫色のスーツ姿のワッケ・ミノンマが手を振っている。僕たちは二人に近づくと一礼した。
「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ」
長身のミノンマさんは並ぶと僕と同じくらいだ。男女入れ替わっても違和感は少ないだろう。一方、アルマイトはケネスさんの前でもじもじしている。
「カツラまで準備してくるなんて本格的ね」
ケネスさんはいつもと同じようにクールに振る舞っているようだが、唇の端から笑みがこぼれているのが見えた。
「イムールが張り切っちゃってさ、ドレスやかつらもレンタルして来たんだ。折角だから着飾ってみたって訳」
アルマイトは何事もなかったように話し続けながら左手をケネスさんに差しだす。
「お手柔らかにお願いします」
ケネスさんはそう言うと、アルマイトの左手を取った。
ダンスホールに流れる音楽に合わせ、ペアダンスの輪が広がっていく。僕たちの近くではカメラを持ったインガとイリメンがペアダンスのまねごとをしながら撮影をしている。僕がミノンマさんと踊りながらちらりと横を見ると、アルマイトが神妙な面持ちでケネスさんとステップを踏んでいるが、足下はおぼつかない。一方、ケネスさんは笑顔で優雅にリードしている。そんな二人に見とれているとミノンマさんが呼びかけてきた。
「アソウ君、こっちもサラたちに負けてられないわよ」
「わ、分かりました」
慌てて僕はミノンマさんに向き直った。
ダンスタイムが終わり、フロアはパーティータイムに突入した。さすがに女装のままでは落ち着かないので、僕とアルマイトはスーツに着替えてきた。先に着替えてきた女性陣をインガが早速撮影している。
「うーん、スーツもいいけどドレスもまた格別だな」
「ホウ君は褒め上手ね」
紫地に銀のラメが入ったドレスを着たケネスさんが笑顔を見せる。隣に立つミノンマさんは白地に金のラメの入ったドレス姿だ。
「二人ともスーツとは色が逆なんですね」
僕がドレスに見とれながら感想を述べているとアルマイトがやってきた。急いで駆けつけたせいか息が上がっている。
「いやあ、素敵だ」
アルマイトはそれだけ言うとケネスさんを見つめたまま固まってしまった。ロマンチックとはほど遠い。
「何やってんだよ」
決定的瞬間を撮る気満々だったインガが肩を落とす。
「ケネスさんもミノンマさんも綺麗だよ」
あわててイムールがフォローする。ミノンマさんはグラスを持った右手を掲げた。
「みんな揃ったんで乾杯しましょ」
「パーチでいいかしら」
ケネスさんがテーブルから淡い金色の液体が入ったボトルを持ってきた。パーティーでは定番のお酒だ。アルマイトがケネスさんの後を追いかけるようにグラスを人数分持ってきたので、僕たちは一個ずつ持って互いにグラスに注いだ。金色の液体が泡立っているグラスを持ち上げると、イムールが音頭を取る。
「それでは、みんなの新たな門出を祝して、乾杯！」
「乾杯！」
僕たちは隣り合った仲間とそれぞれグラスを打ち鳴らした。
パーチで酔いが回った僕たちは、いつもより饒舌になっていた。ただしイムールは炒り豆の入った皿を抱えて一心に食べ続けている。
「明日の卒業式が終わったら、いよいよバードマン人生のスタートだな」
アルマイトが飲み干したパーチのグラスをテーブルに置きながら言った。
「そういえばみんなは希望通りの部署に決まったのかい」
僕の問いに最初に答えたのは例によってインガだ。
「俺は入学してからずっと医療部で研修してたからな。ようやく外科の医師に昇格できるんで存分に腕が振るえるぞ」
「俺が行く５星区の惑星サナスは比較的治安もいいって聞いてるけど、できれば世話にはなりたくないぜ」
口中の豆を飲み込んだイムールがぼやいた。二年生の時全治三ヶ月の入院をしたのがよほど堪えたのだろう。あの時生まれた疑惑は結局解消されないままだ。
「私はパトロール母艦『イマ』勤務だけど、いずれは養成学校の教官資格を取るため本部に戻るつもり。サラと一緒に働きたいからね」
ミノンマさんがケネスさんを見ながら言った。ケネスさんもうなずきながら答える。
「ありがとう。私は養成学校の精神能力開発教官になるけど、要請があれば現場にも行くから、パトロール隊員になったみんなとも協力して事件解決をすることになるかもしれないわ。そういえば、アソウさんの研究室は決まったの」
「希望通り、バードマン活動の装備品を担当する第２開発室に決まったよ。いずれはサポート用のロボット開発を担当したいんだ」
「第２開発室のリノ・クラスティ室長は、パーマンセットの開発にも携わったすごい科学者よ。女性バードマンの先輩として私も尊敬しているの」
ケネスさんはそう言いながらアルマイトの空のグラスを見た。
「カラコルム君、おかわりはいかが」
「あ、ああ」
アルマイトは相変わらず上の空だが、なんとかケネスさんに話しかけるきっかけを掴もうとしているように見えた。
「それじゃ取ってくるわね」
パーチのボトルを取りに向かおうとしたケネスさんをアルマイトは制した。
「ちょっと失礼」
アルマイトが壁際に向かって手を伸ばすと、パーチのボトルが２本宙を飛んできた。１本はテーブルに着地し、もう１本はそのままグラスにパーチを注ぐ。
「テレキネシスでケネスさんにアピールとは、なかなかやるな」
インガがにやける。
「こうやってみんなで集まるのも最後かもしれない。アルジェ、ケネスさんに言っときたいことがあるんだろ」
僕がアルマイトの肩を叩く。それに押されたようにアルマイトはグラスのパーチを一気に半分ほど飲んでからケネスさんに呼びかけた。
「私はパトロール母艦『ヤミ』で、宇宙の平和と正義を守って活動していく。そしていつか、君に自信を持って会いに行けるような立派なバードマンになる。だから、それまで待っててくれないか」
イムールが思わず「ヒュー」と口笛を鳴らした。
「色々あったけど、カラコルム君はずっとサラのことを思ってくれた。この際サラの気持ちもはっきりさせといた方がいいんじゃない」
ミノンマさんの言葉を聞いたケネスさんはグラスのパーチを一口飲むと、アルマイトを見つめた。そのまま口を開く。
「カラコルム君、あなたの気持ち本当に嬉しいわ。ただ」
「ただ？」
アルマイトがケネスさんに顔を近づけたので、インガは慌ててカメラを構えた。
「早く来てくれないと、もっといい人を見つけちゃうかもよ」
ケネスさんは悪戯っぽくウインクした。アルマイトは胸を叩く。
「も、もちろんだとも」
パーティーは盛況のうちに終わった。会場を片付けながら僕たちはアルマイトを祝福しまくった。
「すごいじゃないか、これでケネスさん公認だ」
「アルジェはやる時はやる奴だからな、俺は信じてたぞ」
イムールとインガがアルマイトの背中を叩いて呼びかけた。アルマイトはにやにやしながらテレキネシスでパーチの空き瓶を集めている。
「応援ありがと。さてと、今度はイリメンの番だな」
アルマイトは僕に振り返ると呼びかけた。
「ミノンマさんとは個人通信でいつでも連絡が取れるからね。派遣先でおいしいお菓子があったら確保してくれるよう頼んであるよ」
「結局お菓子かい」
インガがあきれたようにつぶやく。
「後は明日の卒業式だな。久し振りに家族も来るし楽しみだ」
イムールは椅子を片付けようとスーツの腕をまくった。
「うちはバード本星から来るのは大変だからって、お祝いのミリゲル茶を送ってきたよ。アルジェはお父さんが来るんだろ」
僕の問いかけに、アルマイトは一瞬寂しげな顔を見せた。
「『お父さん』じゃなくて、後見人。忙しい人だからきっと来れないと思うよ」
「そうだったね」
僕は思い出した。養成学校に入学した時、アルマイトが『お父さん』と別れたのをサイコメトリーで読み取ったことを。
「いいんだ。離れていても心は繋がっている。私はそう信じている」
そう言うアルマイトを見ながら、僕はイムールが負傷し、ケネスさんのパートナーだったカインが養成学校を去ることになった事件について思いを巡らしていた。
（僕があの時サイコメトリーで見た記憶、アルジェを助けたのは本当にお父さんだったんだろうか）
「もしケネスさんの家族が来たらアルジェも挨拶しないとな」
イムールの言葉を聞いて僕は我に返った。
「ケネスさんの家族か。どんな人なんだろうな」
「そのまま婚約の申し込みもしちまえよ」
緊張気味に答えるアルマイトをインガがからかう。照れ笑いをするアルマイトを見守る僕たちは、アルマイトとケネスさんの幸福な関係がずっと続くと信じて疑わなかった。そう、翌日までは。
２．柔らかなシベラ
パーティーの翌日。養成学校の卒業式に出た後、僕とインガは迎賓棟に来たイムールの両親と挨拶していた。
「アルジェはまだ来ないのか。みんなでレストランに行くって言っといたのに」
イムールが辺りを見回す。
「さっきケネスさんがお父さんらしき人といるのを見かけて、追っかけてったよ」
僕の説明を聞いたインガがうなずく。
「そりゃ邪魔しない方がいいな」
「とりあえず、店の場所は連絡しとこう」
インガがバッジを取りだした時だ。突然僕のバッジが鳴り出した。あわてて柱の陰に隠れるとスイッチを入れる。
『アソウ君、そっちにカラコルム君来てない？』
声の主はミノンマさんだった。なぜか慌てている。
「たぶんケネスさんと一緒だと思います」
『サラは今私と一緒よ。彼が何かしたらしくてとても怒ってるの』
「分かりました、アルジェが来たら謝るよう言っときます」
『早く頼むよ』
ミノンマさんの通信が切れた後、早速アルマイトを呼び出そうとしたが、バッジのスイッチを切っているようで繋がらない。僕はイムールとインガを呼び寄せた。
「まずいよ、アルジェがやらかしたらしい」
「お父さんに早速婚約申し込んだのか」
インガの冷やかしに僕はかぶりを振った。
「ケネスさんとケンカしたらしくて、バッジも切ってるんだ」
「全く、何やってるんだよ」
イムールが腕を組む。
「僕が寮に行ってみるからイムールたちは先に行っててくれないか」
「しょうがないな」
イムールはインガと共に両親の所に戻っていった。
養成学校の学生寮では、卒業する学生たちが荷造りに忙しく出入りしている。空いた部屋には来学期の新入生が入るのだ。僕はエレベーターでアルマイトの部屋である５１５号室へ向かい、ドアに手を当てた。サイコメトリーでこのドアをアルマイトが開けたのがいつか読みとるためだ。
途端に鮮明な映像が浮かんだ。アルマイトが慌ただしくドアを開けて部屋へ入った姿だ。僕はドアをノックすると呼びかけた。
「アルジェ、イムールたちがレストランで待ってるよ」
「イリメンか」
ドアの向こうからアルマイトの返事が返ってきたが声に覇気がない。かなり落ち込んでいるようだ。僕は彼を刺激させないよう静かに尋ねた。
「ケネスさんと何かあったのかい」
「悪いのはあたしだ。何も聞かないでくれ」
「だったら一緒に謝りに行こうよ」
「あたしはケネスさんに絶交されたんだよ」
アルマイトの告白を聞いた僕は言おうとしていた言葉を飲み込むと申し出た。
「何も聞かないようみんなにも言うから、ひとまず食事して落ち着こう」
しばらくして部屋を出てきたアルマイトの顔を見た僕は、思わず吹き出したくなるのをこらえるのに必死だった。右の頬が真っ赤に晴れ上がっているのだ。「何も聞かない」と言った手前、理由を聞くわけにも行かないが、自分でつけたのではなさそうだ。そうなるとつけたのはケネスさんか一緒にいた父親らしき男性ということになる。僕はアルマイトの頬を隠すように顔の右側に立つと、あえて何もなかったように話題を変えた。
「今日の店はデザートでも有名なんだよ。楽しみだね」
僕とアルマイトは開始時間に少し遅れてレストランに到着すると、早速イムールとインガに何も聞かないよう言い含めた。一番理由を聞きたがったインガにも「機密度はイムールが怪我した時と同じだから」と譲らなかった。しかし、ミノンマさんには事情を話しておかなくてはいけない。僕はコース料理が来るまでの間に席を立ち、バッジでミノンマさんを呼び出した。
「遅かったじゃない」
焦りを抑えているようなミノンマさんの声に、僕は罪悪感を覚えながら答えた。
「アルジェは『悪いのは自分だ』と言ってます。後はケネスさんが許してくれるかですけど」
「サラはもう部屋に帰ったわ。少し時間が必要みたい」
「アルジェの方は僕らで引きうけますから、ケネスさんをよろしく頼みます」
「分かったわ」
ミノンマさんの声も少し落ち着きを取り戻したようだ。僕は通信を切った。
翌日、僕は寮のロビーにミノンマさんを呼び出した。卒業後バードマンとして働く僕たちは、向かいの「タワー」にある職員用の宿舎に引っ越すことが決まっているが、イムールは星区基地に待機、アルマイトやミノンマさんはパトロール母艦に乗り組むため、宿舎には当分帰れない。その前に何としても会っておきたかったのだ。僕は紙袋に入ったお土産を取りだした。
「昨日食事したレストランのシベラです。僕も試食しましたけど柔らかくておいしいですよ。ケネスさんと一緒にどうぞ」
「ありがとう。このことカラコルム君は知っているの」
「いえ。僕の独断です」
「でしょうね」
ミノンマさんは肩をすくめた。
「サラもカラコルム君も精神能力者だし、その気になれば二人でどこにいても話し合えるはず。それが出来ないほどこじれているってことは、二人の間に何かとんでもない亀裂が入ってしまったのかも」
「その原因はミノンマさんにも分からないんですね」
「ええ。サラは何も話してくれなかったから。ただ」
「ただ？」
僕の問いに、ミノンマさんは声を潜めた。
「サラはお父さんと会いたくなかったようなの。でもお父さんは銀河連邦の議員で、来賓扱いで来るから断ることも出来ないってこぼしていたわ」
「そう言えば、ケネスさんの家族のことは今まで一度も聞いたことがありませんね」
「私も知らなかったわ。それに、サラは私の所に来てから右手をずっと左手で握ってて。まるで自分で自分を罰してるみたいで責められなかったの」
僕の頭の中で、昨日のアルマイトの右頬とケネスさんの右手が結びついた。だが、その答えをミノンマさんに言うべきか僕は迷っていた。
「このままでは、二人はケンカしたまま離れてしまうわ。私もこれからはパトロール艇勤務だから側にいられないし。アソウ君、カラコルム君だけじゃなく、サラのこともそれとなく見守ってくれないかしら」
ミノンマさんは紙袋を受け取りながら僕の手を握りしめる。その手は温かく力強かった。
「分かりました」
「今度本部に帰った時には、一緒にシベラを作って食べたいね」
ミノンマさんの言葉に僕は笑顔で答えた。
「いつでも連絡下さい、待ってますから」
３．無糖のミリゲル茶
卒業式から二週間が過ぎた。アルマイトたちも新たな職場に出発したが、ケネスさんとの関係は修復できないままだった。出発前、アルマイトは僕にこう言い残した。
「パーティーの夜、彼女に言った決意は変わってない。今はパトロール隊員として経験を積んで、ケネスさんに自信を持って会いに行けるような立派なバードマンになる。休暇になったら本部に戻ってくるからな」
「ケネスさんの様子は僕が気にかけているから、君は君のベストを尽くしてくれ」
「ありがとう。じゃ行ってくる」
バードマンの制服姿のアルマイトは手を振るとパトロール母艦「ヤミ」に乗り込んだ。
一方、ミノンマさんは５星区に行くイムールと共にパトロール母艦「イマ」に乗り込んだ。
「後は頼んだよ」
ミノンマさんの言葉に僕はうなずいた。
「体に気をつけろよ」
イムールの呼びかけにインガが答える。
「そっちこそ、またみんなで会う日まで元気でな」
僕達がパトロール艇の出航を見送っていると、インガが僕の脇腹を小突いた。
「あれ見ろよ」
宇宙港のデッキにもたれるように、白色のマスク、水色のマント姿のケネスさんが立っている。ミノンマさんを見送りに来たのだろう。そこに三人のバードマンが近づいてきた。紺のマスク、黒いマントの男性はドマーニ教官だと分かったが、残り二人のバードマンには見覚えがなかった。一人は橙色のマスクに茶色いマントの大柄な男性だ。ローゲナ系の褐色肌に藍色の髪をしている。もう一人は紫のマスクに緑のマント姿だが、肩まで伸びた赤毛に白衣を羽織っているので性別が分かりづらい。マスクから睫毛が覗いていないので男性なのだろう。ケネスさんはドマーニ教官と少し会話を交わすと、バードマン達と共にテレポートして消えた。
「新しい教官なのかな」
僕の問いにインガはデッキを指差した。
「君のサイコメトリーの出番だな」
僕はケネスさんたちがもたれていたデッキに近づき、サイコメトリーした。しかし、読み取れたのはドマーニ教官が来る直前までだった。頭の中にケネスさんの独白が流れ込んでくる。
(私を好いてくれた人はみんな去っていく。お母様、カイン、そしてアルジェ……いえ、アルジェは私のせい。お願いワッケ、早く帰ってきて)
僕はケネスさんが心の中ではアルマイトのことを「アルジェ」と呼んでいることに驚いた。と同時に、読んではいけない心の声を読んだことに後ろめたくなった。僕は振り返るとインガに言った。
「残念だけど、あのバードマン達については分からなかったよ。君の情報収集力の出番だね」
翌日の初出勤日、バードマン本部研究室の前に立った僕はようやく夢の実現への第一歩を踏み出せることに感慨していた。しかしいつまでもこうしているわけにはいかない。僕はバッジをかざすと研究棟の中に入り、エレベーターで３階に上がった。右から１番目の「第２開発室」と書かれた扉の前でキーケースにバッジをかざす。認証用のモニターが作動した。
「新規配属のイリメン・アソウです、入室許可お願いします」
「いらっしゃい。今開けますね」
モニターに現れたラーゲナ人種の壮年女性を見て僕は驚いた。第２開発室長、リノ・クラスティ本人だ。銀髪を後ろにまとめ、細長いレンズの眼鏡から水色の目で僕を見ている。顔を合わせるのは面接試験の時以来だ。
「ありがとうございます」
一礼すると僕は室内に入った。仕切られたブースが奥まで整然と並んでいる。壁際の棚にはバードマン活動に使う様々な備品が納められている。
「皆さんにも紹介するわね。ちょっと顔出してくださらないかしら」
クラスティ室長の声に反応したのか、ブースから研究員が顔を出す。室長はそのまま僕の隣に立つと話し出した。
「今日から皆さんの同僚になるイリメン・アソウ君よ。バードマン活動の装備品開発チームに入ってもらうわ。よろしく頼むわね」
室長は僕の肩を軽く叩いた。
「バードマン養成学校２７２年度卒業生、イリメン・アソウです。専門はロボット工学で、プログラミング特級資格も取っています。よろしくお願いします」
僕が左胸に手を当てるバードマンの敬礼をすると、皆も返してくれた。
クラスティ室長は壁際に近いブースの一角に僕を案内した。
「この中はあなたの使いやすいように整えて頂戴。お菓子を作ってもいいわよ」
「どうしてそれを」
驚く僕に、室長は微笑んで言った。
「ドマーニ教官から申し送りされているわ。お菓子をうまく作れた日は研究にも熱が入るそうね」
さすが元担任だけあって僕の趣味も把握していたようだ。
「さすがにここでお菓子は作りませんけど、ミリゲル茶を淹れるための道具は持ち込ませて下さい」
僕は丁寧に申し出た。
一ヶ月ほど経ち、ようやく僕も研究室になじんできた。休憩時には電気ポットでお湯を沸かしてミリゲル茶を淹れていたが、最近はクラスティ室長たちもつきあうようになっていた。
「そろそろお茶がなくなりそうなんですが、何かおすすめの銘柄はありますか」
僕の問いかけに答えたのはお茶をもらいに来た室長だった。
「これはバード本星のムアッサ産よね。我が家ではレイグラー産のお茶を飲んでいたの。甘味料を入れなくてもほのかに甘いから助かるわ」
「室長は僕と同じ無糖派でしたね。では次に買うのはレイグラーにしましょう」
ミリゲル茶の葉が入ったパックを片付け始めた僕に室長が尋ねる。
「ところで、アソウ君はどこでお茶を買っているのかしら」
「これは両親からの卒業祝いです。いつもは通販で取り寄せてますけどね」
「ご両親と仲がよさそうで羨ましいわ」
室長の声はどこか寂しげに聞こえた。
「『お菓子作りと実験は同じ、分量を厳密に計るのが成功の元』といつも母は言ってました。僕の研究者としての原点です」
「いい言葉を聞かせてもらったわ、ありがとう」
室長は眼鏡を整えると自分のタンブラーを持って立ち上がった。
「近々新しいプロジェクトが始まるの。アソウ君にも参加してもらいたいからよろしくね」
「分かりました」
僕は左胸に手を当てて室長を見送った。
４．甘いアレーム
それから一週間ほど経った。インガが情報収集の結果を聞かせたいというので、僕は通販で届いたレイグラー産ミリゲル茶を振る舞うという理由で部屋に招いた。
「いやあ、今回の情報収集は苦労したよ」
インガはミリゲル茶をカップから飲み干すとよどみなく話し出す。
「まず白衣のバードマンは、医療部に入った新人のペンデレ内科医。ドマーニ教官が現場時代にスカウトした隠し球らしいぞ。現在養成学校３年生だそうだ」
「でも、あんな後輩学校にいたかな」
僕は首をひねる。
「養成学校は在籍しているだけで、医者資格を取るために別の場所で勉強していたらしい。それでも十分エリートだけどな」
「それもそうだけど、ドマーニ教官がスカウトしたってことは、ケネスさんやカインみたいに精神能力者なのでは」
僕の疑問に、インガは難しい表情をした。
「そこが問題なんだ。今の所、あいつは優秀な医者の卵という情報しか掴めてない。絶対に何かあるはずだけど、外科の俺が内科に入れば怪しまれるし、ドマーニ教官に気づかれて面倒な目に遭うのもごめんだ。何せ俺は新人だからな、身はわきまえとかないと」
「ところで、もう一人のバードマンについては」
インガはニヤリと笑った。
「イムールから有力情報が掴めたぞ。彼は５星区サナス基地のソーン・モイヤ前司令官。赴任する時に引き継ぎがあったそうだ。バードマン本部に異動したらしいが、新部署については不明だとさ。それより君の新情報が欲しいな」
インガはカップに新しいお茶を注ぐ。その間に話せということなのだろう。僕は情報の礼を兼ねて話し始めた。
「本部のバードマン達が今度視察を兼ねた新プロジェクトの打ち合わせに来るので、僕もクラスティ室長に言われて同席することなったんだ。そのメンバーが、ケネスさんとドマーニ教官らしい。アルジェに通信でその話をしたら、『ケネスさんがまだ怒ってるのか確かめてくれ』だってさ。全く世話が焼けるよ」
「仕方ないだろ、あいつも一人前のバードマンになるため頑張ってるんだ。サポートバードマンらしくサポートしてやりな」
「分かってるよ」
僕は自分の分のお茶を追加するため、パックを取りだした。
それから一週間後。今日は打ち合わせ当日だ。
僕はレイグラー産のミリゲル茶の入ったポットとカップ、甘味料のチューブを載せたトレイを持って研究室のミーティングブースに入る。お茶を淹れていると、室長が本部のバードマン達を伴って入ってきた。ドマーニ教官とケネスさん、そしてあの日空港にいた赤毛の男性だ。僕は一礼した。
「イリメン・アソウ研究員です。よろしくお願いします」
「マトー・ペンデレと申します。今年から本部医療部の内科医として勤務しております」
ペンデレ医師は近くで見ても美形だ。穏やかな話し方も相まってますます女性に見えてくる。
「お茶菓子はいかがですか」
クラスティ室長は買い物袋からアレーム(饅頭のような菓子)を取りだし、皆の前に置いた。
「いただきます」
ケネスさんは早速アレームを食べているが、ドマーニ教官はアレームには手をつけず、ミリゲル茶に甘味料をたっぷり入れてかき混ぜている。ペンデレ医師はドマーニ教官が戻した甘味料を取ると、一押しだけ注いだ。
「では失礼します」
僕もアレームを食べ始めた。フラナの有名な菓子店のものだけあって、上品な甘さだ。その間にクラスティ室長はチェルキ(パソコンにあたる端末)を開き、ブースの壁に映像を映す準備を整えた。
「では早速ですが、今回のプロジェクトについて説明させていただきます」
ドマーニ教官が話し出す。映像が開くと「パーマン配置拡大計画」というタイトルが現れた。
「これまでバードマン本部では、優秀な精神能力者にいち早く現場経験を積んでもらうため、バード星で『パーマンセット』という簡易制服による『パーマンチーム』活動を行ってきました。しかし、バードマン活動を銀河連邦全体に拡大するためには、各地の星区から優秀な人員を集める必要があります。そのため、『パーマンセット』の改良を行い、銀河連邦加盟の各惑星に『パーマンチーム』を配置する計画を司令部に提案したいのです」
ドマーニ教官の話を引き継いだのはクラスティ室長だった。画面にはパーマンセットのマントとマスク、バッジが映し出されている。
「これまでは精神能力者がパーマン活動を行っていましたが、各惑星の住民から候補者を選抜し、精神能力者以外でも活動できるよう、マスクに改良を加えたいのです。私が現在研究している『パーマロゲン』をマスクを被ることで視床下部に注入すれば筋力と骨格を強化出来ると考えています。マスクを外せばパーマロゲンの注入は止まるので、日常生活に干渉することはないでしょう」
「今回ペンデレ医師には、パーマンセットの試作品チェック及び、クラスティ室長のパーマロゲン研究補佐をしてもらいたいと思っています」
ドマーニ教官は右隣のペンデレ医師を見やる。ペンデレは髪をかき上げるとドマーニ教官を見返す。今まで無表情だったが、心なしか微笑んでいるように見えた。
「私は現場活動経験者としてのアドバイス及び、各星区からパーマン計画を行うのにふさわしい地域を選考するよう、ドマーニ教官から依頼されています。よろしくお願いします」
ドマーニ教官の左隣に座るケネスさんが頭を下げた。
「ケネス教官はパーマン計画第一期生でもあり、私がスカウトした精神能力者の中でも特に秀でている。必ずや期待に応えてくれるだろう」
自信に満ちたドマーニ教官の話を聞きながら、僕はペンデレ医師の顔を見た。微笑が消え、視線はケネスさんに向けられている。まるで親の愛情を取り合う子どものように僕には見えた。そのケネスさんは憧れのクラスティ室長を見つめているようだ。しかしクラスティ室長の視線はドマーニ教官の飲み終えたカップに注がれている。プロジェクトを進めるメンバーの意識統一が出来るのか、僕は不安になってきた。
「ところで、アソウ研究員はどのような研究をされるのでしょうか」
ケネスさんの問いにクラスティ室長が答える。
「アソウ研究員にはロボット研究者として『コピーロボット』の改良に携わっていただきたいと考えております」
「コピーロボット？」
僕は思わず聞き返した。初めて聞く単語だ。
「使用者の姿形、人格を瞬時にコピーし、本人の代理として活動できるロボットです。試作品はあるのですが、悪用を恐れて１５年ほど前に開発凍結されています。パーマン活動にはこのロボットのサポートが必要になるとドマーニ教官から要請があり、コンパクト化の研究を進めることになりました。アソウ君、お願いできるかしら」
「もちろんです」
僕は左胸に手を当てた。
会議も終わり、クラスティ室長はドマーニ教官と次回に向けての打ち合わせをするため室長室に入った。僕はその間、ケネスさんとペンデレ医師に研究室の内部を案内し、残ったお茶を飲みながら打ち合わせが終わるのを待っていた。
(結局ドマーニ教官、アレーム食べなかったんだ。苦手だったのかな)
僕はドマーニ教官のカップを片付けようとして、傍らに置かれたままのアレームに触れた。その時、僕の脳裏にクラスティ室長の声が流れ込んできた。
(レステアも昔はアレームが好きだったのに。今日は食べてくれるかしら)
室長がドマーニ教官をファーストネームで呼ぶ間柄だったことに驚いていると、ペンデレ医師が声をかけてきた。
(もしよろしければ、そのアレームを持ち帰りたいのですが)
「あ、どうぞ」
僕の言葉を聞くとペンデレ医師はアレームをさっと取りあげ、大事そうに白衣のポケットに入れた。ケネスさんが僕に話しかける。
「まさかこんな形であなたと仕事をすることになるとはね。今度ワッケが帰ってきたら三人でお茶でもしましょう」
「インガも呼んでいいですか」
「彼はおしゃべりだから、秘密厳守でね」
「それはよく言っておきます」
こうして話していると、ケネスさんとアルジェが絶交中とは思えない。自分から誘ってきたところを見ると、ケネスさんも解決の糸口を探しているのかもしれないと僕は思った。
その間も、ペンデレ医師はアレームの入ったポケットを撫でながらお茶を飲んでいた。
５．軽やかなメンレゲ
打ち合わせから約一月たった。僕はクラスティ室長からコピーロボットの試作品と開発時の資料を受け取り、コンパクト化に向けての方策を考える日々だ。そこにミノンマさんから個人通信があった。
『ようやくコントロールセンターから休暇が出たので、明日本部宿舎に戻る予定よ。明後日はミネムン(地球の日曜)だし、サラにも連絡しておいたから、みんなでお茶しながらお菓子を食べましょ』
『分かりました。予定が空いてたらインガも誘っていいですか』
『いいけど、情報統制はさせてもらうわよ』
(警戒されてるな)と苦笑しつつ、僕は返答した。
『今回の目標は、アルジェとケネスさんの関係を元通りにすることですからね。インガも分かってくれるはずです』
早速インガから出席の返事を受け取ると、僕はパトロール母艦「ヤミ」にいるアルマイトに個人通信を送った。
『明後日、ミノンマさんがケネスさんを連れてお茶に来るんだ。君からケネスさんに伝えたいことがあるなら教えてくれないか』
アルマイトから返事が返ってきたのは夜遅くだった。どうやら休息時間だったようだ。
『すまん、寝てたんで遅くなった。もしケネスさんに会えるのなら、「あの時は言い過ぎた、もう君の心には踏み込まないから絶交を解いてくれ」と伝えてくれないか』
『分かったよ』
僕はアルマイトが勝手にケネスさんの気持ちをテレパシーで読んだのが絶交の原因の１つではないかと推測した。しかし、もう一つ気になる点がある。
『話したくないならいいんだけど、あの時君に平手打ちの跡をつけたのは誰なんだい』
ややあって、アルマイトから回答があった。
『みんなには内緒だぞ。ケネスさんだ』
『ありがとう』
通信を終えた僕は、ミノンマさんの話していたあの日のケネスさんを思い返していた。
(ケネスさんが思わず手が出るほど知られたくないことだったんだ。これは難問だな)
ミネムンまでの間、僕はお茶会を開く準備を進めた。ケネスさんの好きなメンレゲ（地球のメレンゲのような菓子）の材料を準備し、仕上げはケネスさんとミノンマさんにしてもらおうと考えたのだ。職員用の宿舎は学生寮よりは広いが、僕の部屋は台所に入りきらない調理用具でかなり狭くなっている。
（とりあえずインガはベッドに座ってもらおうかな）
僕はクッションをベッドの奥に寄せた。
お茶会当日、１４時に僕の部屋のドアをミノンマさんとケネスさんが叩いた。インガは僕と一緒に昼食をとってそのまま部屋にいる。
「いらっしゃいませ」
まるで来賓を出迎えるようにお辞儀をするインガに笑いをこらえながら、ミノンマさんはドアを押さえた。
「サラ、お先にどうぞ」
「ありがとう」
今日は休みなのでインガも白衣を着ていない。ミノンマさんは濃緑のトレーナーに黒いスキニーパンツ、ケネスさんは白のカットソーに藤色のワイドパンツ姿だ。僕は冷蔵庫からメンレゲの入った絞り袋を取りだし、トレイの上に置いた。
「ここにメンレゲを絞り出してください。オーブンで焼く間にお茶の準備をしましょう」
「それじゃ私たちも準備しましょうか」
ケネスさんは持参したエプロンを締めると、長い髪をポケットから取りだしたクリップで束ねた。
「ちょっと、これ隣とくっついてるわよ」
「焼いたら縮むから大丈夫」
ケネスさんとミノンマさんはまるで学生時代に帰ったように、賑やかにおしゃべりしながらトレイにメンレゲを絞り出している。僕とインガはオーブンを温めながらミリゲル茶を淹れる準備をしていた。
「ねえサラ、うまく焼けたらアソウ君に頼んで少し取っといてもらうのはどうかな。カラコルム君もいずれ休暇で帰ってくるだろうし」
ミノンマさんの提案を聞いたケネスさんの手が止まった。ミノンマさんの話は続く。
「あの人、『小さい頃は好き嫌いを言ってられるような状況じゃなかった』と言って何でもおいしそうに食べてたわね」
「そう……彼は私のことを心配して言ってくれた。それは頭では分かっているのに、どうしても許せなかった」
ケネスさんは絞り袋を握りしめる。絞り出したメンレゲはトレイの上で大きな塊になった。
メンレゲを焼く間、僕たちはミリゲル茶の載ったテーブルを囲みおしゃべりに興じていた。
「そういえば、ミノンマさんとケネスさんが仲良くなったきっかけって聞いたことなかったな」
インガの発言がきっかけで、話題はそれぞれの友人たちとのなれそめになった。ケネスさんは養成学校のクラス分けでミノンマさんの隣に座ったのがきっかけだったという。
「入学式での代表スピーチの後だったから、みんな遠巻きに私を見てて。私もテレパスだから、必要以上に心を読まないようにしているけれど、時々人の気持ちに触れてしまって辛くなる。でもワッケは私に普通に話しかけてくれて嬉しかった」
ケネスさんは柔らかな笑顔をミノンマさんに向けた。
「それはこちらも同じ。私、頼れるお姉さんみたいに見られるけど、おいしいものを食べたり、好きな人の話をして盛り上がる普通の学生生活に憧れていたの」
「それで、僕のお菓子作りにも興味を持ったわけですね」
僕はそろそろ焼き上がりそうなオーブンを見ながら言った。インガが話を継ぐ。
「俺がイリメンと仲良くなったのは、俺の話を嫌がらずに聞いてくれるから、じゃなくてお菓子からロボット工学まで話題の幅が広いから楽しめると思ったからだよ。イリメンの友人として知り合ったイムールやアルジェもいい奴だったし」
「それじゃアソウ君とゲイン君、カラコルム君はどうして仲良くなったの」
ミノンマさんが尋ねたので、僕はテーブルを整えながら答えた。
「養成学校の附属学校で、転校生だったアルジェに勉強を教えたのがきっかけですよ。イムールは彼のルームメイトでした。アルジェはルーガの内戦で両親を亡くしてて、その時自分を助けてくれたバードマンのようになりたいと話してくれたんです。それを聞いたイムールは自分もバードマンになるって言い出して、僕はバードマン本部ならきっと面白い研究が出来ると思って二人の話に乗ったんです」
台所から、焼き上がったメンレゲの香りが漂ってきた。
「ケネスさん、手伝ってください」
僕の呼びかけにケネスさんは立ち上がった。
台所に立つと、僕は用意していた白いメッセージカードと封筒、ペンを取り出した。
「アルジェはあれからずっと、『悪いのは私だ』と言ってました。このまま時間が経つと仲直りするきっかけが遠ざかってしまいそうで、僕がついお節介を焼いてしまいました。テレパスのお二人には必要ないかもしれませんが、このメッセージカードにケネスさんの正直な気持ちを残して欲しいんです」
ケネスさんは白いカードをしばし無言で見つめると、僕に顔を向けた。
「あなたもサイコメトリーで色々視てきたから分かると思うけど、バードマン本部にも表に出せない事情がたくさんあるわ。だから私は風穴を開けるような新しい人材をスカウトするため、ドマーニ教官のパーマン拡大計画に参加したの。ドマーニ教官は私をパーマンにスカウトしてくれた恩人だし、『精神能力者がもっと表だって活躍できるようになるべきだ』といつも語ってるわ。ただ、カラコルム君のようないい加減な人は気に入らないみたい。お互いのためにもカラコルム君には現場で思う存分活躍して欲しいの」
「つまり、『二人が絶交した』というのはドマーニ教官へのパフォーマンスということですか」
ケネスさんは軽く微笑んだ。
「ドマーニ教官はバードマンでもトップクラスのテレパスだから、私でもうかつなことは出来ないわ。でも、あの時つい手が出てしまったのは予想外で。自分で自分の気持ちを抑えられなかったことについては謝りたいの」
ケネスさんはペンを取りあげ、メッセージカードに文字を走らせる。僕は心の中で安堵した。
６．涼やかなオドール
それから二週間後。休暇をもらったアルマイトがバードマン本部に戻ってきた。僕は冷蔵庫に保管していたメンレゲを渡すため、アルマイトを部屋に呼んだ。
「これなら何でも作れそうだな」
台所からあふれる調理器具を見つめながら、アルマイトは大きなアクビをする。
「現場はやっぱり大変そうだね」
「まあな。休息時間でも大きな事件があれば駆けつけなくちゃいけないし。だがいろんな星に行って人助けするのはいいもんだぞ」
アルマイトは振り返ると、「アッカンベー」と舌を出した。
「アッカンベーダ星の挨拶だ。宇宙には本当に驚くようなことがたくさんあるぞ」
僕はメンレゲの入った袋をアルマイトに渡すと「お茶を持ってくる」と言って席を立った。僕がミリゲル茶のポットとカップを持って戻ってくると、アルマイトは袋から封筒を取りだし、大きな背中を丸めるようにして中のメッセージカードを読みふけっていた。読み終わると、アルマイトは顔を上げて僕を見た。目が潤んでいる。
「ありがとうイリメン。君がケネスさんにこれを書くよう言ったんだな」
「まあね。絶交を解いてもらわないとこっちも落ち着かないし」
僕もアルマイトに笑顔を見せた。
「それで、ケネスさんはなんて書いてたんだい」
僕はケネスさんがメッセージカードを書いているところは見ていたが、内容はマナーとして見ていない。アルマイトはカードを見ながら答える。
「僕が悪いと思っていることは分かったし、自分も感情にまかせて手をあげてしまい恥ずかしいことをした。絶交は解くけど、ドマーニ教官の前では遠慮して欲しいってさ」
「ドマーニ教官か。僕がケネスさんと今している仕事にも絡んでるんだけど、もう一人のスタッフ、マトー・ペンデレ医師は彼の隠し球らしいんだ」
「マトー・ペンデレ？」
問い返すアルマイト。どうやら初めて聞いた名前のようだ。
「中性的で穏やかな男性だけど、ドマーニ教官に心酔しているみたいで、彼の食べなかったアレームを持って帰ってた。正直何を考えてるか分からないけれど、ケネスさんもライバルとして見ているんだと思う」
「色々大変なんだな。それじゃ、ケネスさんも許してくれたことだし、あの日何があったか君には話そうじゃないか」
アルマイトは袋からひときわ大きなメンレゲを取り出すとかぶりついた。
「うん、うまい」
アルマイトはメンレゲを食べ終わると、改めて話し出した。
「養成学校の卒業式の後、ケネスさん、もといサラがお父さんのオルウェン・ケネス議員といるのを見かけて、挨拶しようと思ってね。二人が講堂の外に出たんで、後を追っていったらサラが『もう来ないで』とお父さんに言ってるのを見てしまったんだ。私は思わず理由が知りたくて、ケネスさんの心を読んでしまった。心の中では小学生くらいのサラが何か必死に訴えていたけど、お父さんは聞いてくれなかったんだ」
アルマイトが勝手にケネスさんの気持ちをテレパシーで読んだのが絶交の理由だという僕の予想は当たっていたようだ。
「ケネス議員は言い訳せず、『まだ許してはくれないか。私はいつでも待ってるよ』とだけ言って去っていった。二人になってから、私は改めてサラに言ったんだ。『お父さんとどうして仲違いしたのかは分からないけど、早いうちに仲直りした方がいい、僕はもう会いたくても会えないんだから』って。そしたらいきなり平手打ちを食らってね」
アルマイトは右頬に手を当てる。
「『母が亡くなったのは父のせいでもそう言える？ もう絶交よ』って言ってサラはテレポートした。私はサラに平手打ちされたことと、自分の気持ちを押しつけて嫌われてしまったことに絶望し、部屋に閉じこもって頭を冷やすことしか出来なかったんだ」
「確かにマナー違反だったけど、君は思い込むとついつい周りが見えなくなるからね」
僕はアルマイトを慰めた。
「サラにメンレゲのお礼をしたいんだ。イリメン、予備のカード持ってないかな」
「そう言うと思ったよ」
僕は用意していたカードと封筒を取りだした。
アルマイトはカードにケネスさんへのメッセージを書き付けると、封筒にしまった。
「君に食べてもらおうと思って、オドールを少し作ってみたんだ。折角だからケネスさんにおすそわけしようか」
オドールは卵のバソウ乳蒸しを冷やしたもので、アルマイトもお気に入りのスイーツだ。
「もう夜だから、サラも部屋にいるかもしれないな。確か２１２号室だっけ」
アルマイトは僕が持ってきたオドールの入ったカップを紙袋に入れると立ち上がった。
アルマイトと僕はケネスさんが住む宿舎の入口にテレポートした。外からインターホンで呼びだすためロビーに入ろうとした僕たちが見たのは、宿舎のゲートから出てきたケネスさんとドマーニ教官だった。僕たちはとっさにロビーのカウンターの影に身を潜めた。
ドマーニ教官がケネスさんに親密そうに話しかける。
「これ以上父親に会いたくないのなら、君の『記憶の上書き』を使ってもいいんだぞ」
ケネスさんは静かに答える。
「いえ、父には母と私にしたことを忘れて欲しくないんです」
その時、突然声が割り込んだ。
「ドマーニ教官、やはりサライラ・ケネスとつきあってたんですね」
僕には声の主がマトー・ペンデレ医師だと分かった。しかしいつもの落ち着き払った調子ではない。
「誤解よ、仕事の打ち合わせをしてたの」
ケネスさんがきっぱりと言うが、ペンデレ医師はさらにまくしたてる。
「あなたにその気がなくても、ドマーニ教官は違う。そうでしょ」
「マトーもサライラも、私の大切な部下だ。つまらない勘ぐりはよせ」
ドマーニ教官がペンデレ医師を取りなしている。僕がその声に聞き入っていると、アルマイトがテレパシーで呼びかけてきた。
（先回りするぞ）
次の瞬間、僕たちはケネスさんの部屋の前にいた。アルマイトがテレポートさせたのだ。
「残念だけど、これを置いたら帰ろう」
アルマイトはドアノブにメッセージカードとオドールの入った手提げ袋を引っかけると右手をあげた。
僕の部屋にテレポートで戻ると、アルマイトはそのまま僕のベッドに寝転んだ。
「さすがにマスクのサポート無しで短時間連続テレポートは堪えるよ」
「お疲れさま。僕たちもオドールを食べようか」
冷蔵庫からオドールを取ってくると、アルマイトは寝息を立てていた。
（やっぱり疲れてたんだな。それにしても）
僕はさっきのドマーニ教官の言葉が引っかかっていた。
（『記憶の上書き』とは、テレパシーの応用で短期間の記憶を消し、偽の記憶を植え付けることだと精神能力の授業で習ったっけ。そして使い手は非常に限られるとも。ケネスさんなら出来てもおかしくないけど）
かつてケネスさんのパートナーであり、養成学校ではアルマイトのクラスメイトだったカインが、何者かに操られてイムールを襲ったことがきっかけで、医療部で記憶を消去されて退学したことをどうしても思い出す。
（もしかしたらペンデレ医師の精神能力は『記憶の上書き』なのかも。それなら隠し球というのも納得できるな）
その時、アルマイトのバッジが鳴り出した。寝ていたアルマイトが反射的にバッジを取りあげ、スイッチを押す。
「はい、こちらアルジェ」
「起こしてごめんなさい」
声の主はケネスさんだった。アルマイトは思わず飛び起きる。
「い、いや、問題ない」
「メッセージとオドール、受け取ったわ。アソウ君にもよろしく。でも、今日みたいなことにならないよう、次は連絡入れて頂戴ね」
どうやらケネスさんには透視で僕たちの動きは筒抜けだったようだ。
「あの、その、ドマーニ教官は本当に君のことが」
アルマイトの問いかけを聞いたケネスさんは諭すように話し出した。
「あの人は私にとって父親のような存在だけど、側にいて安心できるのはあなたよ」
「ありがとう、嬉しいよ」
アルマイトの目尻が下がる。
「パーマン拡大計画が軌道に乗ったら、あなたにも協力をお願いしたいの。その時はよろしくね」
「もちろん、喜んで」
「それと、もう一つ頼みがあるの」
ケネスさんの声が真剣になった。
「どこかでカインに会うことがあったら、本当に記憶を消されているか確認して欲しいの。元パートナーとして彼が幸せに暮らしているなら邪魔はしたくないけど、また誰かに利用されていないか気がかりで」
カインの事件は、ケネスさんと僕たちの双方に影として濃く残っている。アルマイトもイムールも何も言わないが、未だに生死の分からないアルマイトの父親と共に、解決できない宿題のように共有されていた。
「分かったよ」
力強く答えるアルマイトに、ケネスさんは釘を刺す。
「絶交は解いたけど、仕事場ではただの同僚よ。ただ、今日のあなたは休暇中だから」
バッジからケネスさんの優しい声が響く。
「おやすみなさい、アルジェ」
「おやすみ、サラ」
アルマイトがケネスさんに「サラ」と呼びかけたのは、僕の知る限り初めてだった。
７．香ばしいクッキー
それから５年の時が流れた。
僕とアルマイト、イムールはそれぞれの職場でバードマンとして働きながら、年に数度顔を合わせる日々が続いていた。インガも医療部で働きながら各地の基地を飛び回っている。
残念ながらアルマイトとケネスさんの関係は進展しておらず、カインやアルマイトの父親の消息も分からないままだ。その代わり、僕とミノンマさん、もといワッケとの関係は近くなり、互いに名前を呼ぶ仲になっていた。今日はワッケが休暇で本部に戻ってきたので、僕の部屋でミリゲル茶を飲みながら情報交換をしていた。
深皿に盛られたお菓子をつまみながらワッケが尋ねる。
「これは焼き菓子かい」
「アルジェがこの前休暇で帰って来てね、地球の菓子をお土産に持ってきたんだ。『クッキー』と言うそうだよ」
「これはバード星のケッカーに似てるね。ミリゲル茶にも合ってるしいい感じ。でもここに持ち込んでもよかったのかい」
「もちろん内緒だけど、アルジェは『食べても問題ないことはあたしで証明済みだ』って言ってたよ。地球に滞在基地ができたから、パーマン拡大計画の準備もかねて地球の調査を進めてるんだってさ」
ワッケは満足げにクッキーを飲み込むと尋ねた。
「パーマン拡大計画か。イリメンの方はどうなんだい」
「まだ機密事項だから詳しくは言えないけど、研究は順調に進んでるよ。ワッケも今度教官資格試験を受けるんだよね」
「ああ。サラも楽しみにしてるから必ず受かりたいんだ」
「もちろん僕も応援してるよ。本部勤務になったらいつでも会えるからね」
「ありがとう」
ワッケはお礼の言葉を述べたが浮かない顔をしている。
「でも、サラとアルマイトとの関係が進展しない手前、大っぴらにイリメンといちゃつくのも気が引けるよなって」
「僕はこのままでも大丈夫だよ。まだまだ研究に専念しないといけないし、クラスティ室長からもっといろんなことを教わりたいんだ。それに、パーマン計画が軌道に乗れば二人の接点も増えるから、きっと関係も進展するさ」
「そうだな、一緒になるためにもまずは試験に合格できるよう頑張るよ。このクッキー、サラにお土産にしたいんで少し持ってってもいいかい」
「そう言うと思った。別に分けといたのがあるよ」
僕はビニールパックに入れたクッキーを取り出した。
「ところで、イムールやインガは元気でやってるかい」
ミリゲル茶を飲み干したワッケが尋ねる。
「ああ。イムールは５星区の新人バードマン教育係をやってるんだ。この間巡回検診に出張したインガの話では、パーマン拡大計画にも協力したいって言ってるってさ。そうそう、巡回検診では内科のマトー・ペンデレ医師と組んで回ったそうだよ」
「マトー医師って、イリメンと一緒に研究しているあの優男かい」
ワッケはポットから新しいミリゲル茶を注ぎながら言った。
「あの『レーザー口』のインガが『俺が何を話してもニコニコしながら話を聞いてるけど、自分のことはほとんど話さない』ってこぼしててさ。ずっとチームを組んでいる僕らにもそうだから、よっぽど警戒心が強いんだろうな」
僕はアルマイトと二人でケネスさんの宿舎に行った夜を思い出した。彼が取り乱したのを見たのはあの時だけである。
「彼はスカウトされたドマーニ教官に心酔していて、ケネスさんをライバル視しているみたいなんだ。ケネスさんは冷静だから大事に至ってないけど、ドマーニ教官の本心は分からないからね。正直僕も気を遣ってるよ」
僕も自分のカップにミリゲル茶をつぎ足した。
「イリメンもいろいろ大変だね。私で良ければ秘密厳守でいくらでも話を聞くから、また誘ってくれよ」
「もちろんさ」
僕はクッキーを深皿から取ると、ミリゲル茶に浸してから口に放り込んだ。
「そのままでも香ばしいけど、これもうまいな」
「やっぱりイリメンはその顔が一番似合ってるよ」
ワッケは右手を顎の下に置くとうなずいた。
それから数週間後、僕とケネスさんは小型化したコピーロボットと、パーマンマスクの試作品チェックのため、クラスティ室長と研究棟の実験室にいた。ドマーニ教官はバードマン本部役員昇格のための審議会に出席中、マトー医師は巡回検診中のためここにはいない。
「こんなに小さくなったのね。まるでお人形みたい」
ケネスさんはコピーロボットを持ち上げると、顔の中央の赤い突起に触れる。すると起動音とともにロボットが膨らみ始めた。僕は思わず声を上げる。
「あ、待って」
数十秒でコピーロボットはケネスさんと同じ姿になった。まるで双子のようにそっくりだ。
「初めまして、サライラ・ケネスさん」
コピーが一礼する。どうやら自意識は持っているようだ。
「早速だけど、このマスクを被ってちょうだい」
クラスティ室長が白いパーマンマスクを取り出した。耳当ての形やマスクの前部が尖っていないなど、バードマンのマスクとは形状が違っている。
「分かりました」
マスクを被ったコピーにクラスティ室長が呼びかけた。
「ここにあるバーベルを軽いものから順番に持ち上げてほしいの。アソウ君、記録お願いね」
コピーロボットによるパーマロゲン発生装置入りマスクのテスト結果は良好だった。僕の取った記録を見ながらクラスティ室長は満足げにうなずく。
「これで精神能力の働かないコピーロボットでも怪力が出せるし、力のコントロールも出来ることが確認できたわね。後は長期使用による副作用がないか確認できれば実用化へ進めるわ」
ケネスさんと僕も賞賛を送った。
「おめでとうございます」
「これもアソウ君たちのお陰よ」
相変わらず室長は謙虚だ。ケネスさんはコピーケネスの髪の毛をなでながら話しかける。
「あなたすごいわね。携帯できるサイズだから、パーマン活動時の代理だけじゃなく、現場でもおとり役とかで活用できるかも」
僕はコピーケネスの隣に立つと話し続けた。
「まだ設計図の段階ですが、元の人物の性格をそのままコピーするのではなく、反転させることも理論上は出来ます。バードマンの模擬訓練用にそういったコピーロボットを作ってはどうでしょうか」
「やめて頂戴」
突然クラスティ室長が鋭い声で割り込んだ。そのままコピーケネスのボタンを押す。縮んだコピーロボットは床に落ちたマスクの中に転がった。
「あなたたちにはやはり話しておく必要がありそうね。なぜコピーロボットが研究凍結されたのか」
クラスティ室長はコピーロボットとマスクを拾い上げた。
僕とケネスさんは、クラスティ室長の話を聞くため実験室の椅子に腰掛けた。室長は自分のチェルキの資料フォルダを開く。壁のスクリーンに映し出されたのは、人間大の大きさの白いロボットだ。
「二人とも、ルーガ内乱のことは習っているわよね」
「ええ」
ケネスさんがうなずく。僕は養成学校時代のディベート対決で、ケネスさんがアルマイトを負かしたことを思い出した。
「内戦勃発の引き金となった、レット自治区の首都インテバンでのロキニ大統領暗殺事件。この事件にはラマワーン軍の精神能力者部隊と、私が開発したコピーロボットが使われたの」
クラスティ室長の声が沈んだ。ケネスさんが心配げにクラスティ室長の顔をのぞき込む。
「ラマワーン軍はロボットにロキニ大統領をコピーさせてから本人を暗殺し、ラマワーンを攻撃するようコピーロボットが命じたメッセージ動画をクラムのネットワークに流したの。もちろんレット側にも精神能力者の特殊部隊があったし、バード星側も極秘にバードマンの調査員を派遣して真相を探り当てたわ。でも、その時にはもう遅かった。市民は互いの国を憎み合い、内戦を止めることは出来なかったの」
(その結果、カタニアム難民キャンプへのミサイル襲撃が起こってしまった)
僕がアルマイトからその話を聞いたのは銀河連邦付属学校時代だった。母親を失ったアルマイトがバードマンに助けられ、自分もバードマンになることを決意するきっかけとなり、そしてトラウマになっている事件だ。
クラスティ室長はチェルキを操作した。スクリーンにはバード本星にあったかつてのバードマン本部が映し出される。
「内戦終結後、コピーロボットの開発は凍結され、バード星による精神能力者の管理が強化されたわ。レットやラマバーンの精神能力者部隊の一部は銀河連邦の管理下に入り、バードマンとして犯罪者の極秘調査や人命救助、過酷な地域の探検などに出向くことで、戦争犯罪活動の償いをすることになった。それが現在のバードマン組織のルーツなの」
「つまり、ルーガ内乱の協力者がバードマン内部にいるということですか」
僕はアルマイトがその話を知ったらどう思うのか、複雑な気持ちになった。
「でもその人たちも好きで戦ったわけではないんでしょう。私には責められません」
ケネスさんの言葉に僕はうなずく。クラスティ室長は話し続けた。
「私も自分の研究を悪用されたことが無念だったし、少しでも平和回復の役に立てればと思ってバードマンの本部研究室に入ったわ。そこで私は密かにコピーロボットの自我とコピーする相手の自我を別々に保持できるようにして、悪用を防げるように改良したの。それと共に、パーマロゲンをマスクから視床下部に注入することで精神能力者以外もバードマンとして活躍できるようにするべきだと本部に上申したのよ」
「そうだったんですか。僕にも精神能力に関係なく優秀なバードマンとして活躍している友人がたくさんいますので、室長の意見に同意です」
僕はイムールやインガを思い浮かべながら言った。
「でも、私の意見に反対する人達もいたわ。一番残念だったのは、養成学校を卒業してバードマンになったばかりの息子、レステアに反対されたことよ」
「レステア・ドマーニ教官がクラスティ室長の息子さん、なのですか」
ケネスさんは心から驚いているようだ。僕はドマーニ教官がアレームを残した時のサイコメトリーを思い出した。
「ええ。夫のアステア・ドマーニは銀河連邦の職員だったから、コピーロボットが悪用されたことで迷惑をかけたくなくて離婚したの。私もテレパスだけど、レステアは私より遙かに優れていたわ。未だに彼の本当の実力は分からないくらい。彼はきっと、私が精神能力者の味方にならなかったことに失望したのね。その代わりにケネスさんのような優秀な精神能力者をパーマンにスカウトし、自分の味方を増やしたかったのかもしれないわ。レステアが本部役員になることで、さらに発言力が強まるとしたら、今後のパーマン計画がどうなるか心配だわ」
クラスティ室長はチェルキを閉じた。ケネスさんが静かに言う。
「ドマーニ教官は私の恩人です。精神能力者として父に認めてもらえなかった私に、パーマンとして活躍する場を与えてくれました。ですがクラスティ室長のおっしゃる通り、バードマンになるのに必ずしも精神能力は必要はありません。お二人がいつか和解できるよう、私も力になりたいです」
「僕にもぜひ協力させてください」
僕もケネスさんを追いかけるように声を上げる。クラスティ室長は眼鏡を外すと後ろを向いた。潤んだ目を拭っているようだ。そして向き直ると僕たちに呼びかけた。
「私は今期末で退職する予定になっているわ。もしレステアが暴走することがあったら、バードマン、パーマンたちの未来を守るためにも、貴方たちで彼を止めてほしいの」
「はい」
「分かりました」
僕たちの返事を聞いたクラスティ室長の顔に笑みが戻った。
「では、研究室に戻りましょうか」
８．苦いクヌレ
それから３ヶ月ほど経った。ワッケは教官資格試験に無事合格し、バードマンの活動を続けながら養成学校の教官任命を待っている。一方、ドマーニ教官はバードマン本部役員への昇格が決定し、養成学校を離れることになった。ドマーニ教官の仕事を引き継ぐこととなったケネスさんは研究室に来る暇もないようだ。ワッケから通信が入ったのはそんな時だった。
「イリメン、『本部直属バードマン』ってのにサラがなるかもって話、知ってるかい」
「いや、何も聞いてないけど」
「サラも『まだ内輪の話だから』って言ってたけど、本部役員に昇格したドマーニ教官の推薦があったんだってさ。折角一緒に働けると思ってたのに」
画面の向こうでワッケが頭を抱えている。
「『本部直属バードマン』って、そもそも何をするのかな」
僕の疑問はワッケも同じだった。
「『機密だから』って教えてくれなかったけど、直属ってことは本部のお偉いさんの警備とか、監察官みたいなことをするんじゃないかな」
「とにかく、これじゃますますケネスさんがアルジェと会えなくなってしまうよ。困ったな」
僕は今も４２星区、つまり地球でパーマン計画に向けて準備しているはずのアルマイトに思いをはせた。
「ところで、イリメンの方はどうなんだい」
ワッケが話題を変える。
「今度研究室が再編されるんだ。僕はパーマン活動のために新設された第３開発室のコピーロボット開発部副長への内定が決まったよ」
「おめでとう。後で就任祝いをしなくちゃな」
画面の向こうのワッケが、乾杯をするように手を掲げた。僕は画面越しにタッチする。
「その代わりクラスティ室長が退任するから、これから仕事の引き継ぎをしないといけないんだ。気が抜けないよ」
「お互い頑張ろうな」
「ありがとう、そっちも元気でね」
ワッケの励ましに僕は何よりも勇気づけられた。
その数日後。僕はクラスティ室長の研究室で研究資料の引き継ぎをしていた。
「お茶を淹れたので少し休憩しましょう」
チェルキの画面を見つめている僕にクラスティ室長が呼びかける。
「ありがとうございます」
「クヌレを買ってきたのでお一つどうぞ。味は食べてのお楽しみよ」
室長は紙袋から焦げ茶色の焼き菓子を取り出すと僕に渡した。クヌレはコーティングされた焼き菓子の内部にクリームやジャムを入れた菓子だ。食べるまで中身が分からないので、くじ引きや罰ゲームのアイテムとして使われることもある。口に入れると、甘酸っぱい味が口の中に広がった。
「これはクラム特産のナババジャムですね」
「さすがアソウ君。いえ、もうすぐアソウ『副長』ね」
室長はカップを僕の前に置いた。
「室長は退任したらバード星に帰られるんですよね。向こうでも研究をされるんですか」
僕はミリゲル茶のカップを持ちながら尋ねる。
「まだ決まってないけど、しばらくゆっくりしたいわね。おいしいお茶やお菓子もたくさん食べたいし」
「できれば退任後も残って欲しいのですが、難しいのですか」
僕の問いかけに、室長は目を伏せた。
「ええ。私はここでの秘密を漏らさないよう、機密部分の記憶制御を受けることになるの。コピーロボットの開発はあなたに引き継いでもらうことになるから、よろしく頼むわね」
「機密管理のためとはいえ、厳しいですね」
「ルーガ内戦の時のような悲劇を私たちが引き起こすわけにはいかないの。パーマン計画成功のためにも、パーマロゲンやコピーロボットの悪用は絶対にあってはならないわ」
室長は紙袋からクヌレを取り出し、口に入れた。少し顔が歪む。
「あら、辛味ペースト入りを当てちゃったわ」
「さすがにテレパスでもクヌレ当ては難しいんですね」
僕が言ったその時、胸のバッジが鳴った。ケネスさんからだ。
「アソウ君、今からテスト用のコピーロボットを受け取りに行きたいんだけどいいかしら。室長には許可を取っているわ」
「もちろん。今ならおいしいクヌレもありますよ」
「それは楽しみね」
通信が切れた直後、研究室にいきなり二つの人影が現れた。
「ケネスさん、それにドマーニ本部役員」
うろたえる僕にドマーニ本部役員が呼びかける。
「ドマーニでかまわんよ」
「今度から私にとっては直属上司になるから、『リーダー』と呼んでいるの。アソウ君もそれでどうかしら」
ケネスさんの提案に僕も乗ることにした。
「ケネスさん、リーダー、コピーロボットの準備をするので、クヌレを食べながら待っててください」
しかし、ドマーニ本部役員が僕とケネスさんの間に割って入った。
「ケネス教官はこれから室長と打ち合わせをするから、その間にアソウ君にはテスト用のコピーロボットと内部のプログラム、回路図を用意してもらいたい」
「内部のプログラムと回路図も、ですか」
僕の心に警戒心が持ち上がった。
「現場でコピーロボットに問題が発生した場合、君がメンテナンスに来るまで待っている時間はない。もしコピーロボットが他者に危害を加えたら、最悪パーマン計画が中止になるかもしれない。そのためにも緊急時の対策が必要だ。当然その対策は考えてるんだろ」
ドマーニ本部役員は僕を見つめる。
「もちろん、鼻のスイッチを押せば強制的にリセットされます。誤作動防止用の電子ロックも開発していますが、本人の長期不在時等、限定的な使用を想定しています。しかし、内部のプログラムは機密事項ですから、自分の知らないところで配布されるのは困ります」
「私がそういうことをすると思っているのかね」
「いえ、それは」
ドマーニ本部役員が僕を見つめると、脳内に軽いしびれが走った。僕はとっさに養成学校で習った精神防御をしようとしたが、そのまま視線の奔流に飲み込まれる。
僕が我に返ったのは、ケネスさんに呼びかけられた時だった。既にドマーニ本部役員の姿はない。
「室長との打ち合わせは終わったので、私も帰るわね」
「ドマーニ……リーダーは」
僕はぎこちなく周囲を見回した。クラスティ室長はまだ室長室にいるようだ。
「『必要なものはもらったから』と言って先に帰ったわ」
「帰る前に、折角ですからクヌレでも」
「ありがとう」
ケネスさんは僕が渡した紙袋から、クヌレを一つ取り出して頬張った。途端に顔が曇る。
「とても酸っぱいわ」
「すみません」
僕は謝ったが、ケネスさんは微笑んだ。
「たぶん今日の罰ね。カラコルム君ならきっと許さないわ。それじゃ」
言い終わると同時にケネスさんの姿は室内から消える。『罰』という言葉に僕の心はざわめいた。
(やはり、僕はドマーニリーダーに精神制御されて、プログラムを渡してしまったんだ)
自分のチェルキを取り上げ、サイコメトリーを試みようとしたが、何も浮かんでこない。僕は心を落ち着かせようと、紙袋からクヌレを一つ取り出してかじった。
(苦い！)
僕は思わず手のひらに食べかけのクヌレを置き、まじまじと見つめた。中には黄色のペーストが入っている。さっき食べたナババジャムだ。
(僕の舌がおかしくなったのか)
慎重に残りのクヌレを口に運ぶ。やはり苦い。僕は新プロジェクトの打ち合わせの際、アレームを食べなかったドマーニ教官の姿を思い出した。
(これが精神制御の代償なのか。あの人は、ケネスさんを巻き込んで何をしようとしてるんだ)
僕は悔しさと底知れぬ不安にさいなまれた。
（完）
