６．　現代へ帰りたい

　十月も半ばを過ぎ、三人も次第にクラスの中にとけ込んできていた。だが、六年一組では事情が違っていた。
　ミツ夫のいる一組は、“成田 豪”の君臨する場だった。もちろん彼にも前田や、三雲など友人ができたが、豪の一声で、みんなそっちへなびいてしまうのが、彼には歯がゆかった。まるで、クラス中が豪にへつらっているような雰囲気だった。豪は、また自慢好きでもあった。
　「おい、今日家へ来いよ。どえらい物見せてやるぜ」
　帰り支度をしていたミツ夫に、豪が話しかけた。
　「『どえらい物』って、何だい？」
　「とにかく、来てみりゃ分かるよ。他の二人も連れて来いよ。それに三雲や小野寺も誘っておいたんだ。絶対に来いよな」
　「千鶴ちゃん、本当に行く気？」
　豪が行ってから、ミツ夫は千鶴に尋ねた。
　「ええ。どうせ暇だから」
　結局、四人は一緒に成田家に出掛けて行った。入り口に、三雲と豪がいた。
　「先に来てたのか」
　三雲にミツ夫が声をかけた。
　「早くしろよ、豪がお待ちかねだぜ」
　三雲が言った。

　「今度、俺ん家でカラーテレビを買ったんだぜ。その初公開に、お前らを呼んだんだ」
　　豪は、応接間に五人を連れて行った。そしてテレビのスイッチを入れた。
　「ほら、ほら、良く見ろ。カラーだろ、な、な。どうだ、すごいだろう」
　豪は、騒いだ。
　「ふぅん。さすが、成田家だよな」
　三雲が言った。
　「ちょっと待ってろ。まだ、これからだからな」
　豪は言うと、慌てて部屋を出て行った。
　「呆れたもんだわ」
　スミレが呟いた。
　「ハル三以上だろうな、この慌てよう」
　ミツ夫も言い返した。
　やがて、戻ってきた豪は、お盆を持ってきた。
　「いいか、今から、かの有名な“インスタントコーヒー”と“インスタントラーメン”をご賞味させてやるぞ」
　そう言いながら、豪は上機嫌でお湯を入れ始めた。
　「いくら何でも、現代で食べ飽きてるもんな」
　「ほんと、ほんと」
　法善とミツ夫の囁きも耳に入らない豪は、時計をしきりに見ながら、
　「もうすぐ三分だぞ」
　などと、しきりにやっていた。
　「はい、出来上がり。のびないうちに食えよ」
　その前に飲んでいたコーヒーを置いて、今度はラーメンを回し食いした。ただし、今ひとつ、味がおかしい。
　「豪君、そのお湯、いつポットに入れたの？」
　「さぁな、勝手に持ってきただけだぜ」
　「それじゃ駄目よ。美味しいラーメンを作るコツは、熱湯を使う事よ」
　「何だ、お前、俺に逆らう気か？」
　「ええ、そのつもりよ」
　「ふん」
　豪はそっぽを向いた。豪も、なぜか千鶴にだけは弱いのだ。

　「なぁ、どうしてみんな、あんなヤツにへつらってんだい？」
　次の日、学校でミツ夫は三雲に尋ねた。
　「どうしてって言われてもなぁ」
　三雲は前田をつっついた。
　「ああ、それに僕もクモも、豪ん家の近くだもんなぁ。自然とつきあってるようなもんだぜ」
　「でも僕には、まるで機嫌取りをしているように見えて、しょうがないんだ」
　「それじゃ、まるで僕らが豪の子分みたいじゃないか」
　三雲がやり返した。
　「おいミツ夫。あんまり言い過ぎると、ロクな事ないぜ。君の兄貴だって、成田運送だろ？」
　前田は、辺りを見回すと後を続けた。
　「成田運送のおかげで、この町は成り立ってるんだぜ。それに、豪の親父は息子の言うことだったら信じて疑わないときてるんだ。君がまともに反抗してみろ、とばっちりを食うのは君の兄貴じゃないか。そしたら君だって迷惑するんだぞ」
　「有人……兄さんは、そんなこと怖がる人じゃないよ」
　そうは言ってみたものの、また有人さんが仕事を探しに駆けずり回るのかと思うと、彼は何とも言えない気持ちになった。

　その日から、ミツ夫はふさぎこんでいる事が多くなった。確かに、話しかければ答えるし、休み時間も一緒に遊ぶのだが、どこかうつろなのだ。千鶴も、それとなく気づいてはいたが、真相は突き止められないままだった。
　その、ふさぎの虫が一層大きくなったある日、
　「千鶴ちゃん、この辺に桔梗が咲いている所はない？」
　久しぶりに聞く、ミツ夫の弾んだ声だった。だが、その声に千鶴は答えられなかった。
　「ごめんなさい。この辺じゃ私、知っている所はないの。一体、どうして？」
　「実は、ある本の話を思い出したんだ。その中に、桔梗の花の汁をしぼって、両の親指と人差し指につけ、その指をつけると、ほら、こんな風になるだろ？」
　ミツ夫は、指でその形を作りながら言った。
　「すると、その中の囲まれた窓から、懐かしい人達が見えて来るんだ」
　「そう、すばらしいわね」
　千鶴は、うわの空だった。この話とは多分、物語か何かだろう。でも、それにすがりたくなる程不安定な彼の心が、千鶴にはいじらしく感じられた。

　それからミツ夫は、誰の目から見ても分かるくらい、変わっていった。もう、お喋りもしなければ、ドッヂボールもしない。そして休み時間は、プイとどこかへいなくなっては、鐘が鳴り終わってから帰ってきた。そんな時、目が充血していることが良くあった。
　家では精一杯、普段と同じように見せようとしているようだったが、四人はとっくの昔に変化に気づいていた。が、四人もそれに気が付かないふりをしていた。
　だが、ついにすべてが明らかになる時が来た。
　ある夕暮れ、ミツ夫は橋の下にしゃがみ込んでいた。黒い水面をぼんやり眺めていると、様々な人達の姿が映ってくるようだった。
　悲しみの中に浸っていた彼は、背後から人が近づいてくるのにも、気が付かなかった。肩に手を置かれて、ミツ夫は思わず振り返った。有人の顔が、覗き込んだ。
　「元気出せよ。いつまで、そうやってるつもりなんだい？」
　「だって……」
　見上げたミツ夫の目から、涙が落ちた。有人はミツ夫の脇に腰を下ろした。
　「現代へ帰りたいのは、誰だって同じなんだ。お前ばかり沈んでいたってしょうがないだろ？」
　ミツ夫は、大声で泣きたいのを堪えながら、とぎれとぎれに言った。
　「こんな世界なんて……もう嫌なんだ……。現代に、帰りたいんだよ……。みんなと、もう二度と会えないなんて……もう、耐えられないんだ……」
　有人が、ポツリと言った。
　「ミツ夫、お前が羨ましいよ……」
　「なぜ？」
　有人は、しばらく黙っていたが、やがて話し出した。
　「僕の両親は、もうこの世じゃ会いたくたって会えないんだ。何しろ、父さんは八つの時に、母さんも十の時に、銀の糸が切れてしまったからな。ちょうど今頃、バード星の僕は、四つくらいかな？　だから、ある面ではこっちの世界の方が、懐かしく感じられるんだ」
　ミツ夫は、有人の話を聞いている内に、胸の中に詰まっていた物が、少しずつ溶けていくような気がした。今まで、世界中で一番不幸せだと考えてさえいた自分が、馬鹿らしくなった。こんな近くに、自分なんかより、何倍もつらい思いをしてきた人がいたことに、やっと今気が付いたのだった。
　「有人さん、それで？」
　「また、いつかな。今日は、とにかく家へ入ろう」
　「僕、もう絶対に『現代へ帰りたい』なんて、言わないよ」
　「私としては、何か悩みがあるんなら、早めに言って貰いたいな。ちょっと、先に行っててくれな」
　もう、道の上にいたミツ夫に、有人が呼び掛けた。
　ミツ夫が、行ってしまった後、有人は川辺にひざまづいた。
　（教えて下さい、アルバ様。我々は、どうしたら現代へ帰れるんでしょうか？　どうか、我々を導いて下さい）
　有人は顔を上げて、星空を見上げた。天頂近くに、白鳥座が輝いていた。