７．　秘密を知った千鶴

　次の日、六年一組の一時間目は、国語だった。しかも、漢字テストを二枚やらなければならなかった。
　「そこまで」
　大沢先生の声が教室に響きわたった。ミツ夫は鉛筆を置くと、ため息を一つついた。この“漢字”というヤツは、国語の中でも彼が一番嫌いな物だった。
　「隣の人と交換して。二枚ともだぞ」
　ミツ夫から二枚のテストを渡された千鶴は、自然と名前の覧に目がいった。（名前を書き落としているかも知れない）と思ったのだった。
　一枚目は、きちんと書いてあった。だが二枚目を見た時、千鶴の目はメガネの中でまん丸くなった。そこには、濃くハッキリと“須羽ミツ夫”と書いてあったからだ。
　（自分の名字間違うなんて。それもこんな違った字と。おかしいわ）
　だが、千鶴は何も言わずに消しゴムで“須”の字を消すと、出来るだけミツ夫の字ソックリに“鳥”の字を書いておいた。
　テストを返されたミツ夫は、何も知らずにそれを提出した。

　午後家へ帰ってから、千鶴はもう一度ゆっくりこの事を考え直してみた。
　彼女の前には、一冊のノートが置いてあった。その一ページ目に【鳥羽家に関する疑問】とあり、その下にはこんな文が書かれていた。

疑問
その１，　ミツ夫君に前住んでいた所や学校のことなどを聞いても、ハッキリ教えてくれない。
その２，　「十月十日は“体育の日”で休みだ」など、時々分からないことを言う。そしてその後決まってごまかしたり、手を口に当てたりする。
その３，　三人（兄さん含めて）の顔立ちが、全然違う。
その４，　ほとんど無一文で、水川町へ来たこと。
その５，　“水川町”のことを“富成町”と、言ったりする。
その６，　法善君のアクセントが、関西調になることがある。
その７，　昨日、水川橋の所で、ミツ夫君と兄さんの話を立ち聞きしてしまった時、「○○（良く聞き取れなかった）へ帰りたい」とか「この世界の方が親しみを感じる」などと言っていた。
その８，　今日、テストの名前の所に“須羽ミツ夫”と書いてあった。

　書いた物を読み返しながら千鶴は、こう思った。
　（それにしても、こんなに疑問が出てくるなんて思いも寄らなかったわ。本当に、鳥羽家って一体どんな秘密を持っているのかしら？）
　しばらく考え込むと、千鶴はその後に書き足した。

これらから考えられること。
１，　記憶喪失なのではないか。
２，　宇宙人なのではないか。
３，　未来人なのではないか。

　そしてその下に、次のように書き足した。

１の可能性　　１０％　　（四人もそろって記憶喪失なんて、虫が良すぎる。第一、それなら病院に入れられていると思う）
２の可能性　　３０％　　（考えられない事もないが、言葉の違いなどが説明できなくなる）
３の可能性　　６０％　　（これが一番説明が付きそうな理論だ）
────────
　　　　　計１００％

　書き終わると、千鶴はノートを閉じて立ち上がった。
　（そうだわ。今すぐ確かめに行きましょう）

　千鶴が橋のたもとまでやって来たとき、運のいいことにミツ夫の姿が見えた。買い物に行く所らしい。千鶴はとっさに橋の陰に隠れると、橋の上に向かって呼び掛けた。
　「須羽（スバネ）君」
ミツ夫は立ち止まると辺りを見回したが、気のせいだと思ったらしくまた歩き出した。
　「須羽（スバネ）君」
千鶴は、もう一度呼び掛けた。
　「何だ、千鶴ちゃんか」
ミツ夫は、橋の欄干から身を乗り出すと何気ない口調で答えた。千鶴は、彼の顔をマジマジと見つめながら言った。
　「あなた、驚かないのね」
　「何で驚く必要があるんだい？」
ミツ夫は、これにこそビックリ物だというような顔で答えた。
　「私が“須羽（スバネ）君”って呼んだの、聞こえなかったの？」
　「ああ聞こえたよ。だから、どうだって言うんだい？」
　（須羽君、なかなかしぶといわね。やっぱり、あの事言うしかないのかしら？）
　千鶴は、そう思って尋ねた。
　「それじゃ、お聞きしますけど。今日のテストに“須羽ミツ夫”って書いてあったのは、どういう訳？」
　「そ、そんな馬鹿な……」
ミツ夫の顔に、焦りの色がハッキリ見えた。
　「あなた、気がつかなかったはずよ。だって私が書き直しておいたもの」
　ミツ夫、何とも言えない顔つきをすると、千鶴を攻めるような口調で言った。
　「千鶴ちゃん、読み間違わないでよ。僕の名字は“スバネ”じゃなくて“スワ”なの！」
　「あ〜ら、ご免なさい、須羽（スワ）君」
　口ではこう言ったものの、千鶴は心でつぶやいた。
　（あ〜ら、とうとう言ってくれたじゃない。“問うに落ちず、語るに落ちる”とは、まさにこの事だわ）
　この時ミツ夫は、やっと自分のしでかした事に気づいて、慌てて口を押さえたが、もう間に合わなかった。千鶴は、ミツ夫の所へ駆け上がってきた。
　「ね、千鶴ちゃん。今の事は、聞かなかった事にしてくれよ」
　「駄目よ。私に隠そうとしたのが、大体間違っていたのよ」
　千鶴はにべもなく言った。
　「もし、これが他の人に知れたら大変なんだ。何しろ、僕らの本当のことを知っているのは君のパパだけなんだから」
　「ふぅん。それじゃ、私の聞くことについて、何でも教えてくれるんなら、黙っててあげるわ」
　「うん、分かった。千鶴ちゃんの為だったら、何でもやるよ」
　ミツ夫はもう必死だった。
　「それじゃ、まず、あなた達は未来から来たんでしょ？　一体、どんな風になってるのか教えて」
　「そ、そんなんじゃないよ」
　「じゃ、もしかして、四次元から来たとか？」
　千鶴の好奇心は、おさまらない。
　「四次元？　僕を宇宙人みたいにしないでくれよ」
　「宇宙人？」
　千鶴が首を傾げたので、ミツ夫はまた自分のドジに気づいた。
　「あなた、それじゃ一体、何なの？」
　千鶴に詰め寄られ、観念したミツ夫は仕方なく白状した。
　「み……未来人だよ」
　「ごめんなさい、早とちりしちゃって。でも、いいわね」
　「何で？」
　「だって、これから起こる事を知っているって事は、これからどんな目に遭うか分かるって事じゃくて？」
　「そう言われてみれば……。でも、有人兄さんは『もし、未来を知っていたとしても、その未来を変えることは出来ない』って言うんだ。だから、その方がつらいのかも知れないって思うんだ」
　「ふぅん……」
　千鶴は、思いがけなく真面目な顔つきのミツ夫に、何か不思議な感じを受けた。その時、二人の耳にスミレの声が響いた。
　「ちょっと、お使い、もう行って来ちゃったんなら、こっちへそのカゴ渡して」
　「しまった。今からだよー！　千鶴ちゃん、話、歩きながらするよ」
　スミレに呼び掛けといて、ミツ夫は歩き出した。
　「それじゃ、まず、あなたのいた未来の世界って、今からどのくらい後の世界？」
　「うーん、二十五年くらい後になるかな……」
　二人の姿は、町の方に向かって歩いていった。

　その夜、千鶴は布団の中で、未来の世界の事をあれこれと考えていた。特に、ミツ夫が「自分の親友だ」と言って強調した“パーマン”という男の子の事は、千鶴の脳裏にハッキリと焼き付いていた。
　そして、眠りについた千鶴は、自分とパーマンが一緒に空を飛んでいる夢を見ていた。そのパーマンは、なぜかミツ夫にソックリだった。

　次の日。豪がみんなを集めて喋っていた。
　「昨日のプロレス、凄かったな。リキドーザンの“空手チョップ”が炸裂してよ。『オリャー！』って風にな」
　その「オリャー！」と一緒に空手チョップがミツ夫の所に降ってきたものだからたまらない。頭を押さえながらミツ夫は抗議した。
　「酷いじゃないか」
　だが、豪は全く無視したので、ミツ夫はムキになって言った。
　「リキドーサンが何だって言うんだよ。エノキだとか、チャーシューだって、負けないくらい凄いんだから。それに、いくら強くたって、ナイフにはかなわないじゃないか」
　「そんな証拠、あるのかよ？　それにエノキとか、チャーシューなんてヤツ、知らねぇぞ」
　椅子にふんぞり返っていた豪が、ミツ夫を睨み付けた。
　「あるさ！　後数年も経てば、リキドーサンはナイフで刺されるんだ。それに……」
　「うるせぇ！　デタラメもいい加減にしろよ」
　豪は椅子から立ち上がった。ミツ夫も、もう自分の意見を引っ込めることが出来ないのを知って後悔をしかけた。が、その時『天の声』ならぬ『千鶴の声』がふってきた。
　「豪君、ミツ夫さんに逆らわない方がいいわよ。彼は“予言者”なんだから」
　豪は、ミツ夫と千鶴の顔を交互に眺めると言った。
　「畜生、この勝負は、後までお預けだ」
　「ありがとう、千鶴ちゃん」
　「どういたしまして」
　その日は、何事も起こらなかった。が、豪のミツ夫に対する怒りは、飽和状態に達していた。