１０．　川原にて

　それから３日後の日曜日。午後、有人がミツ夫たちに呼びかけた。
　「おい、散歩にでも行くか？」
　「うん。行く、行く」
　四人は、すぐにその言葉に乗った。

　「ねぇ、ところでどこへ行くの？」
　外へ出てからミツ夫が尋ねた。
　「そうだなぁ、朝日ヶ丘にでも行くか」
　有人は、小野寺家へ行く方とは反対の道をとって歩き出した。四人は慌ててその後を追った。

　朝日ヶ丘といっても住宅街がある訳ではない。五人の目の前には赤土と砂利道が広がっているだけだった。
　「ミツ夫さんの家は、どの辺り？」
　スミレの問いかけにミツ夫は答えられなかった。こんな所が約十年後には一つの町になってしまうとは、到底彼には考えられなかった。
　「都市への人口集中が多くなって、住宅の建設の必要も増大した。その結果あちこちに新しい住宅地ができた。今君たちが住んでいる朝日ヶ丘も、こうしてできた町の一つなんだ」
　授業での大山先生の言葉が、今のミツ夫には実感としてとらえられた。
　「これからここは、どんどん整備されていく。現に今、道路は着実に延びていて、各地域の区分けも進んでいる。後十年も経てば、ここに人々が入ってくる予定なんだ」
　それはミツ夫も知っていた。須羽家が今の家を買ってまもなくミツ夫は生まれた。その時には、この地は活気に満ち溢れた一つの町に変わっていたのだった。
　有人はなおも何か言いたそうだったが、きびすを返すと言った。
　「少し遠出して、岩瀬川まで行くか」

　岩瀬川へ行くために、五人は水川にそっていくコースをとった。
　「でも、今ここは“水川町”でしょ。いつから“富成町”になったのかな？」
　　ミツ夫が有人に尋ねる。
　「さぁな。確かに、この辺りは、今“水川町”だけどな。やっぱり“朝日ヶ丘”ができたせいかも知れないな。実は一度、その事を小野寺さんに尋ねた事があるんだよ」
　「『その事』って“富成町”になった訳？」
　「ああ。そうしたら、何でも“朝日ヶ丘”ができた時、町名変更をしたんだそうだ。その時に、“朝日ヶ丘三丁目”が、ちょうど小野寺さん家の辺りまで入ってしまったんだそうだ。こっちもやむをえず変更することになって、お役所の人が、面倒くさいから“朝日ヶ丘”の隣という事で“富成町”の字を当てたとか言ってたよ」
　「ふぅん」
　こんな話をしながら、五人はいつの間にか土手近くまで来ていた。この辺りは高台な為、川がこんなすぐ近くまで迫っているという感じは余りしなかった。だが、ここでは眼下に広がる川原が見渡せた。
　「わぁっ、こんなに川原って長かったっけ？」
　ミツ夫は、思わず声に出して言った。
　「埋め立てれば、自然と短くもなるよ」
　有人は、さらりと言った。何か、心は別の方へ飛んでいるような言い方だった。
　水川は、その土手の切れ目の所から岩瀬川へ流れ込んでいた。
　五人の足は、波打ち際に近づくにつれて、自然に走り出していた。

　現代でもこの岩瀬川は、東京にはほとんど無くなってしまった飲料水用の河川として大事にされている。だが、目の前に広がる川は、それ以上に澄み切っていた。
　「本当に、ここ東京なのかしら？」
　スミレが呟いた。
　ちょうど引き潮時で、普段は川の中に取り残されている中州にも歩いて行くことができた。五人がこれを見逃さないはずはない。早速、その中州に渡った。
　だが、有人は、
　「私は、ここで一眠りさせて貰うよ」
と言うなり、中州の半分ほどを占領して寝てしまった。後の半分に押し出されてしまった四人は、有人を「呆れた」といったように見つめた。
　仕方なしに、四人はお喋りを始めた。
　「そう言えば、おととい有人さんが小野寺家にいた理由、本当にあれだけだったのかな？」
　口火を切ったのはミツ夫だった。
　「ブービー、君はいたんだから、知ってるだろう？　一体、何があったんだい？」
　ブービーは、始めはためらっていたが、やがて話し始めた。三人は、手真似を入れながら話すブービーの言葉を何とか読みとろうとした。
　「え、……お酒飲んで、寝ちゃって……それから、……分からないの？」
　解読後、三人は顔を見合わせた。
　「っていう事は、有人さんは酔っぱらっていたんだ！」
　「日本酒一瓶飲んで、ほろ酔い程度だった有人さんが？」
　「かなり派手に飲んだんだな」
　ブービーが、頷いた。
　「でも、お昼前に来たって事は、有人さん仕事休んだんだね」
　「いや、そんな事じゃ済まされないかも知れん」
　「それ、どういう意味？」
　慌てて問いかけたミツ夫にも、次の瞬間、法善の言いたい事が分かった。
　「有人さんが、成田運送を辞めさせられた！」
　法善は、無言で頷いた。
　「確かに、それなら有人さんもヤケ酒しかねないわ」
　「やっぱり、僕があんな事したから」
　「いや、押し掛けて行ったのは有人さんの方だから、君に責任はないよ」
　「でも、それじゃ……」
　言いかけて下を見たミツ夫は、慌てて立ち上がった。潮が満ちてきていたのだ。
　慌てて有人を起こすと、五人は川原へ一目散に駆けて行った。
　潮が満ちてこない場所まで来ると、五人はしばらく寄せては返すさざ波を眺めていた。だがその頭の中では、目まぐるしく思考が繰り広げられていた。
　ついにミツ夫は、ある事を尋ねようと思い顔を上げた。と、有人の視線にぶつかった。ミツ夫の言葉はのどの奥に逆流してしまった。
　有人が、話し始めた。
　「実は今日、君たちをあっちこっち引き回したのは、何とか話をしたかったからなんだ。恥ずかしい話だが私は、この間の夜の押し掛けのせいらしいんだが、成田運送を辞めさせられてしまったんだ。そこで、私は思わずヤケ酒をしてしまい、小野寺さんの前でも恥をかいてしまったんだ。しかも、その酒を買ったお金というのが、今月分の生活費から引かれてるんだ。それもこれも、みんな私の不始末から起きた事だ。出来るだけの事は私もするが、君達も、やむをえず協力して貰うようになるだろう」
　（やはり、このツケは鳥羽家に回ってきた……）
　ミツ夫は心の中で、こう思った。
　有人の話は続く。
　「それで昨日、仕事を探しに行ったんだ。職安へな。そうしたら大体の仕事って履歴書がいるんだ。だから、まともな事書けない私は後回しになってしまう。それでも、仕事の方は何とか決まった」
　「どんな仕事？」
　「“朝日ヶ丘住宅街建設事業失対作業員”ってとこかな」
　「？」
　「つまり、ちゃんとした仕事が決まるまで、とりあえず朝日ヶ丘の建設に携わるって訳」
　「それじゃ、給料の方はどうなるの？」
　「さぁ、まだ良く分からないけど、生きていけるくらいはくれるんじゃないか？」
　「それは、ちょっと酷いよ」
　ミツ夫の言葉に、四人の笑い声が続いた。ふと思いついたように有人が言った。
　「“鬼ごっこ”しようか？」
　「え？」
　突然の有人の言葉に四人は戸惑ったが、結局頷いた。
　「それじゃ、私が鬼になるから」
　川原には、五人の影だけが、長くのびている。その影が四方に散った。鬼ごっこが始まったのだ。

　いつの間にか、西の空には太陽の代わりに金星が光っていた。
　「こんなに楽しかったの、久しぶりだったわ」
　返り道、スミレが話しかけてきた。
　「ああ」
　有人は答えながらこんな事を思った。
　（いつの間にか、俺達は毎日の忙しさの中で、ゆとりとでも言うべき物を忘れていたんじゃなかろうか？　だから、こんな他愛もない遊びが、楽しく思えるんじゃないだろうか……）