１４．　大黒柱が倒れた？！

　　車の音に驚いて出てきた三人は、その中から有人が抱きかかえられて出てきたのを見ると、二度ビックリした。
　有人はすぐに布団に寝かされた。成田は、医者を呼ぶためにまた出掛けていった。
　やがてやってきた医者は、有人の体を診察すると振り向いて言った。
　「インフルエンザですな。子供さん方は、予防接種を受けていても出来るだけ近寄らないようにした方が無難ですよ」
　「それで、病気は重いんですか？　軽いんですか？」
　大沢先生が尋ねた。
　「これからを見ないと、分かりません。だが、一応三日経っても熱が下がらなかったら、肺炎の可能性がありますので注意して下さい」
　医者は、鞄の中から薬と熱冷ましを取り出すと、
　「薬は、毎食後一服。熱冷ましは、必要に応じて飲ませて下さい。それじゃ、三日後また来ます」
　と、言って出ていった。
　医者と大沢先生を乗せた成田さんの車が走り去ってしまうと、家の中は四人だけになってしまった。
　「やっぱり、大変なことになったわ」
　洗面器に水をくみながら、スミレは傍らのミツ夫に言った。
　「あんまり働き過ぎたからだよ。僕にも責任があるよ」
　「兄さんの性格って、何か考えるとすぐ、がむしゃらに突っ走っちゃうような所あるのよね」
　「だからおっちょこちょいって言われるんだよ」
　なぜか、二人は笑わなかった。水の入った洗面器をスミレは有人の傍らに置くと、その水でタオルを絞って有人の額に乗せた。
　ミツ夫はまた一つ、スミレの優しさを見たような気がした。

　お使いから帰ってきた法善は、訳を聞くと氷嚢を買いにすっ飛んでいった。
　熱のため有人は時々声を上げたりしたが、後はトロトロと眠っていた。
　夕飯時まではまだ良かったが、薬と熱冷ましを飲ませた後からが大変だった。しきりに咳をしたり、水を欲しがったり、体のあちこちが痛いと言い出した。本格的なインフルエンザの始まりだった。
　その度に四人は、あっちこっちと駆けずり回った。

　その夜の有人は、スミレが引き受けた。彼女自身、インフルエンザの経験こそ無かったが、有人の苦しみを見ていると、まるで自分にもその感じが伝わってくるような気持ちになるから不思議だった。
　「水を一杯、持ってきてくれないか」
　「はい」
　これで何度目だろうか？　トイレにも行かずに、これだけ飲めるのも珍しい。でも水分の補給をしなければ、熱の力に負けてしまうのだろう。
　氷嚢の中に入れた氷は、あらかた溶けていた。
　汗が、ふいてもふいても出てくる。咳をする時もかなり辛そうだった。
　眠ったかなと思うと、うめき声を出したりする。おかげでスミレは、一晩中まんじりともできなかった。

　　二日後。当然ながら病状はより悪化していた。まず、食物を一切受け付けなくなった。
　「せっかく作ったのに、食べなきゃ駄目よ」
　スミレが勧めても、有人はスミレを凝視して、首を振るだけだった。
　息づかいも荒くなった。体温計は、ずっと四十一度を指したままだった。
　スミレは、連日の看病疲れで、居間に布団を敷くと眠ってしまった。
　クジ引きで既に看護当番が決まっていた。日中の当番は法善、夜間はミツ夫だった。
　「ねぇ、法善」
　こたつで宿題をしていたはずのミツ夫だが、いつ間のにやら有人の傍らに来て話しかけていた。
　「丈夫なはずの兄さんなのに、こんなに苦しんでるトコを見ると、よっぽど悪いのに取り付かれたんだね」
　「いや、そうとも決められないな」
　法善は、否定的に答えた。
　「兄さんは宇宙人だから、地球の病気に免疫を持ってないのかも知れん。そしたら当然、病気にもかかりやすくなるし、かかれば他の人よりも重くなる。という風にも考えられると思うんだな」
　ミツ夫は首をひねっていた。法善の話が、あまりに専門的すぎたからだった。
　「ところで、宿題してたんじゃなかったのか？」
　「あ、そうだった。法善に分からない所を聞こうと思ったんだっけ」
　ミツ夫は思い出すと、自分の傍らに手をやった。が、そこには無い。
　「こっち、こっち」
　振り向くと、法善がプリントを持って澄ましている。法善から渡されたプリントを見つめたミツ夫は、慌てて立ち上がった。
　「ごめん、これじゃなかったよ」
　法善は、あきれかえって後ろ姿を見つめるばかりだった。

　こうして病気は、一向に良くなる気配がないまま、その日の夜を迎えてしまった。
　ミツ夫は、皆が寝静まった後も、一人で有人の傍らに座っていた。
　だが、忍び寄る眠気に勝てず、とうとう有人の掛け布団に頭を乗せて眠ってしまった。

　その頃、有人の体の中では、病魔との戦いが最高潮に達していた。しばらく、彼の幻想を追ってみることにしよう。

　　アルマイトの体は、何も感じ無くなってしまったようだった。まるで雲の上に乗っているかのように、ちっとも堅い物の上に立っている感触がなかったのである。
　彼の目の前には、一本の銀の糸がのびていた。その糸の先を辿っていくと、一本のスプール（糸巻き）にたどり着いた。そこには、スプールを持っている懐かしい両親の姿があった。
　「父さん、母さん！」
　そう叫びながら、アルマイトは走り出した。そして、二人のそばまで来ると、思わず抱きつきたいのを堪えながら言った。
　「二人とも、ちっとも変わってないね」
　「アルマイト、立派になった物だなぁ。お前がバードマンになっているなんて、父さんは鼻が高いぞ」
　「そんな、まだ下っ端の方だよ」
　父の言葉に、アルマイトは頭をかいた。
　「それにしても、これでやっとまた、三人一緒になれるわね」
　「三人一緒？」
　アルマイトは、母の言葉に不吉な物を感じた。
　「それじゃ、僕は死んじゃったのかい？」
　「いいえ、まだ死んではいないわ。でも、私がこのハサミで糸を切れば、あなたの命はなくなるの」
　「そんな馬鹿な！　この糸を切れるのは、アルバ様しかいないんだろ」
　アルマイトは動揺した。一体自分の両親は、そんなに偉くなったんだろうか？　それとも、悪魔の手先になったんだろうか……？
　その時だった。アルマイトの耳に、ハッキリと声が聞こえてきた。
　「兄さん！　しっかりして！　死んじゃ駄目だよ！」
　その途端、両親のイメージがフッと消えた。アルマイトは、自分の体がどこまでも下に向かって落ちていくような感じがした。と、次の瞬間、ストンという感じがして幻想が消えた。

　そこは、やはり暗い部屋の中だった。有人のうめき声で目を覚ましたミツ夫が発したのが、さっきの声の正体だったという訳だ。
　「兄さん、これが最後の熱冷ましだよ。効くといいけどね」
　薬を飲み干すと、今までになくいい気持ちがした。有人は、また布団に横たわると目を閉じた。今度は、グッスリ眠れた。

　次の日、やってきた医者はハッキリとこう言った。
　「もう峠は越えましたから、安心していいですよ」
　四人は、嬉しそうに有人を見つめた。有人も微笑む。
　「この薬を飲んで、それから熱が下がっても、栄養がある物をたくさん食べて、まぁ、三が日までゆっくり静養していれば、病気も完全に退散するでしょうよ」
　四人はホッとした。とにかく、これでまたいつも通りの生活に戻っていけるのは、嬉しかった。
　その日から、有人は急速に回復に向かっていった。