５．　雪中の逃避行（１）


　（話はまた、僕の方に戻ります）

　それからの二日間、僕はガザン星人に尋問を受ける以外は地下室で暮らす事になった。
　始めの間は、食事の時だけ点いている懐中電灯を頼りに、地下室の中を見たりして時間を潰していたが、それも消されてしまうと、僕は毛布の中に潜ってうつらうつらしている事が多くなった。それも出来るだけ寒くないように、その中で丸くなるのだ。
　こうしていると、やっぱり思い出すのは家の事だ。あれから警察は動き出したろうか？　パーマン達は僕が何処に居るか、まだ分からないのだろうか？　そんな事を切れ切れに思っていた時、梯子の上げ蓋の開く音がした。
　やがて、梯子を降りて来たのはミルネだった。（付け加えておくと、ガザン星人の中では、チーフがリーダー、ミルネ、モルヒネそして、この時にはまだ存在を知らなかったもう一人が、手下らしかった）
　ミルネは、僕が潜っていた毛布をひっぺがしたので、僕は起きざるをえなかった。
　「なに縮こまってるんだ？　そんな事してても無駄だぞ。これから体の芯まで冷えるんだからな」
　「え？　どういう事？」
　僕の問い掛けを無視して、ミルネはモルヒネに僕を手渡した。
　チーフはいつも通り、暖炉を背後にして座っている。どうも人の事は言えないが、チーフの顔は、ブルドックに驚く程似ている。初対面の時には拉致された時の恐怖がまだ残っていた為、顔に気を付けていられなかったが、この顔に何度もお目にかかるにつれて、僕は笑いを押さえるのに苦労するようになった。
　しかし、次のチーフの言葉は、僕の笑いをいっぺんに吹き飛ばしてしまった。
　「いいか？　俺達は、お前になるだけ早く白状して貰わないと困るんだ。だが、お前はパーマンセットの“パ”の字も言いやしない。そこで俺達もお前に少々ダメージを与えなきゃならんと、意見が一致したんだ」
　「僕をどうする気？」
　僕がそう尋ねると、チーフはニヤリと笑ってから言った。
　「前から何度も言っているように、我々は、手荒な事はしたくない。だから、今度も傷を付けるような真似はしたくない。おい、窓の外を見てみろ」
　僕はチーフに言われた通り窓の外を見た。でも、そこには白い色しか見えなかった。
　「これから、お前はあそこへ出て行くのだ」
　「えっ？！」
　知らない内に、僕の口からこんな声が飛び出して来た。そして、さっきのミルネの言葉が甦って来た。
「勿論、逃げ出せないようにロープで縛っておくさ。我々も十分おきに見に来るから、その内に喋りたくなったら速やかに中に入れてやる、という訳さ」
　僕はまた抗議しようとしたが、その時チーフの手がサッとひらめいたかと思うと、ミルネとモルヒネが僕の両腕を掴んで、戸口へと引っ張って行った。どちらも、完全武装（＊１）で、モルヒネはロープを手に持っている。戸が開けられた。冷たい風雪が、山小屋の中に吹き込んで来た。僕は思わず目をつぶった。だが二人はそんな物おかまいなしという風に、僕の背中をぐいっと押した。
　僕は二人のされるがままになって歩き出した。でも、いくらも行かないうちに歩みが止まった。僕は恐る恐る目を開けて見た。
　そこは森の入り口だった。僕の目の前には針葉樹らしい木が一本、どっしりと立っていた。木の幹一面に雪がくっついていた。
　二人はどうやら、この木に僕を縛り付けていくつもりらしかった。ミルネとモルヒネが掴んでいた僕の左手と右手を無理矢理、木の幹に回した。そして、今度はモルヒネがロープを僕の体に巻き付けた。次に手足を縛られて、僕は完全に身動き出来なくなってしまった。
　「それじゃ、あばよ。十分経ったらまた来るからな。ミルネ、行こうぜ」
　モルヒネがこう言ったので、ミルネも同意し、二人は立ち去って行った。そして、その姿は数秒と経たない内に、僕の目の前から消えてしまった。僕は吹雪の中に一人取り残されてしまった。

　その内に、背中が冷たくなって来た。無理もない。背後は雪なのだから。それにしても何とも言えない感じだ。しかもジャンバーみたいな物だったらともかく、トレーニングウェアの上下だから、余計に冷たく感じられる。そこで僕は、体を出来るだけ木から離そうと思って、ロープをゆるめようとしてみたが、到底、出来ない相談だった。
その間にも僕の体目掛けて、横殴りに雪が吹き付けて来る。結局僕は、どっちへ転んでも同じだと思って諦めた。

　手足の指がかじかんで来て、痺れるようになった頃、やっとガザン星人はやって来た。でも、それはモルヒネだけだった。
　「やれやれ、大分参ったようだな」
　「そんな事、ないよ！」
　僕はうなだれていた頭を上げて、モルヒネを見た。
　「強がり言うなって。ほぅれ、唇が真っ青だ」
モルヒネは僕の顎を持ち上げると言った。
　「隊長に報告しとかなきゃいかんな。『強情なのは、ちっともかわってません』って」
　「“隊長”って？」
　僕はチーフの上に、別の人間がいるのかと思いながら尋ねた。
　「バカ、チーフ隊長に決まってるじゃないか」
　モルヒネは明らかに気を悪くした様子で、
　「いつまでも強情はってると、その内くたばっちまうぞ」と吐き捨てるように言って、立ち去って行った。
　モルヒネの姿が見えなくなると、僕は笑い転げた。何故かというと、二人（＊２）しかいない部下に“隊長”と呼ばしているチーフを思い浮かべた途端、その顔立ちまではっきり思い浮かべてしまったからだった。

　いつの間にか、吹雪は止んでいた。僕は、ミルネの予告した通り、体の芯まで冷えきっていた。全身も雪まみれになっていた。
　あれからモルヒネとミルネが、変わりばんこに何度もやって来た。十回くらい来たから一時間半くらいは経っている事になる。
　辺りが、薄暗くなって来たようだ。このまま夜まで置き去りになるのだろうか？　半ばぼんやりした頭でこんな事を考えていると、また足音が聞こえて来た。だが、この次に来るはずのモルヒネの足音とはどうも違う。かと言って、ミルネの足音とも違う。もしかしたら、チーフが自らやって来たのかも知れない。僕は、足音のする方角を見つめた。
　しかし、その人影を見た時、僕は思わず「あっ」と声を上げそうになった。それは、まぎれもない有人さんだったからだ。しかも登山姿だ。
　有人さんの方も、僕の姿を見てビックリしたらしく、歩みを速めた。そして、僕の傍にやって来た。
　「有人さん、他のみんなは？」
　僕の問いに、有人さんはこう答えた。
　「いや、私一人だ。それにしても……そうだ。その縄を今切ってやるからな」
　有人さんはナイフを取り出すと、僕の後に回った。すぐに三つの音がして、体が自由になった。
　「どうもありがとう。有人さんがいなかったら僕、凍え死んじゃう所だったよ。でも、良く僕の居る所が分かったね？」
　「偶然だよ、偶然」
有人さんは口の中で呟くように言った。そして、しばらく考えていたが、やがて尋ねた。
　「ミツ夫、お前歩けるか？」
　僕は体の雪を払いながら尋ねた。
　「どのくらい歩くの？」
　「多分、五百メートルくらいは歩くだろうな」
　「それじゃ、やれるだけやってみるよ」
　「よし、分かった。それじゃ出発だ」
　「え、もう？」
　思わず僕は問い返した。
　「ガザン星人がいつやって来るか、分からないじゃないか。もし見つかったら、大変な事になるぞ」
　「分かった。行く、行く」
　僕は立ち上がった。
　歩きながら考えた事だが、もしあそこでもう少しグズグズしていたら、モルヒネが来るのは、避けられなかっただろう。僕は心の中で有人さんに感謝した。

　道程は、以外に長かった。一度降り止んだ雪が、また降り出して来た。
　僕は途中で歩けなくなったので、有人さんにおぶって貰った。
　自分のリュックを体の前にしょって（？）いる有人さんを見ながら、僕は（悪かったかな）と思いながらも、釜山（＊３）への道で、丁度今と同じように有人さんが僕をおぶってくれた時の事を思い浮かべずにはいられなかった。
　僕と有人さんは、その間、二言三言短い会話を交わしたきりだった。それは、ガザン星人に気付かれる恐れがあるからでもあったが、実際には僕はひどく疲れていて、口をきくのが面倒臭かったのと、有人さんも歩きながら考え込んでいるようだったので、会話が途切れてしまうからだった。それは目的地に到着するまで続いた。

　目的地とは、雪の崖の中に出来た穴のような場所だった（“雪洞”と言うのだと有人さんが教えてくれた）。
　有人さんは、慣れた手つきであちこち動き回りながら、僕が休めるように雪洞の中を整えてくれた。また、有人さんは「風邪をひくから」と言って、強制的に僕の服を脱がし、自分の服を渡した。かなり大きめだったが、体の方は次第にあったまって来た。と同時に、次第に手足がむずがゆくなって来た。有人さんは「霜焼けのせいだ」と言って、笑いながら薬を塗ってくれた。僕は自分がガザン星人の所から逃げ出して来たという事をほとんど忘れかけていた。
　でも、その直後の有人さんの質問で、僕の心の中にまた、現在の自分の状況が甦って来た。
　「一体どうして、あんな所にいたんだ？」
　「あれ？　有人さんは僕がここに居るのを知ってて、助けに来たんじゃないの？」
　「『偶然だ』と言ったろ？　でなきゃ、とうの昔に助け出されてるだろうよ、パーマン達の手によってな。とにかく連れ去られてから私が助けるまでの事を詳しく話してくれないか？　私は、食事の用意をしているから」
　有人さんはそう言うと、外から雪を取って来て溶かし始めた。僕は、有人さんの手元を見つめながら、自分の話をした。

　食べ終わった後、今度は有人さんが、自分がどうしてここへ来たかを話してくれた。
　それによると、有人さんは、友人達と大雪山に登山をしに来た。一日目の夕方、明日のルートを偵察しに行った有人さんは、ちょうどその近くで起こった雪崩に巻き込まれてしまった。運良く、命に別状は無かったが、キャンプからかなり離れてしまった為、ともかく戻ろうとしてやって来た時、僕を見付けたんだそうだ。
　この話をしながらも有人さんは、忙しく働いていた。食事の後片付けをし、荷物を整え、いつでも眠りにつけるように準備をしてくれていたのだった。
　全ての準備が整った所で、有人さんはしばらく外に出て行った。やがて、戻って来た有人さんはいきなり僕にこう尋ねた。
　「ミツ夫、君は、僕の事をどんな風に思っているんだ？　はっきり答えてくれないか？」
　僕は有人さんが、何故急にそんな事を尋ねたのかが、良く分からなかった。でも、有人さんの目がこの間ガザン星人の事を話した時と同じように光っていたので（本気だな）と僕は思った。そこで、僕はこう答えた。
　「そりゃぁ……。初めの内は『いい加減で、頼りがいの無い人だ』と思っていたけれど、今では『僕達の事を本気で心配してくれてるいい人だ』と思っているよ」
　「本当か？　俺（＊４）のせいで、お前はこんな目に遭ってるんだぞ！」
　「それは違うよ。有人さんは、ちゃんと僕に警告してくれたじゃない。有人さんの言葉を軽く見た僕がいけないんだよ」
　「でも元はと言えば、お前の意見も聞かず、パーマンセットを押しつけた俺が……」
　僕はいよいよたまらなくなって、有人さんの手を思わず掴んだ。
　「もう止めてよ！　自分ばっかり責めるの、有人さんの悪い癖みたいだよ！」
　次の瞬間、有人さんの全身から力が抜けたようだった。
　「そうだよ…。自分を責めて、他人を責めて結局言い逃れようとする…俺の悪い癖だよ…」
　「ねぇ、僕の寝る場所は何処？　僕、眠くなっちゃった」
　僕は慌ててそう言うと、有人さんの気を引き立てようとした。
　「あそこのシュラーフの中だ。やり方は、分かるか？」
　「何とか分かると思うけど」
　シュラーフに手を掛けながら僕は答えた。そこでふと、ある事に気付いて、僕は有人さんに尋ねた。
　「これ、有人さんのでしょう？　だったら、有人さんはどうやって寝るの？」
　「なぁに、大丈夫だよ。中はあったかいから、上に着ればそう寒くはないからな。あそうそう、お前はセーターを脱がなきゃ駄目だぞ」
　そう言う有人さんの声は、もういつも通りの声に戻っていた。
　僕は安心して、セーターを脱ぐと、改めてシュラーフに潜り込んだ。そうすると、今までの疲れが一度に出たらしく、僕はそれからいくらも経たない内に眠り込んでしまった。
　
　「おい、起きろ。起きるんだ」
　夢のように、妙にぼやけた声が僕の頭に響いて来た。でも、まだ僕は体の自由が利かなかった。だが頬に痛みを感じて、ようやく僕は起き上がった。
　「ガザン星人がこっちへやって来る。急いでこれを着るんだ」
　寝る前に脱いだセーターと有人さんから渡されたヤッケを着ながら、僕は尋ねた。
　「ねぇ、僕の服は、まだ乾かないの？」
　「あんなにビショ濡れなのに、そんな簡単に乾く訳ないだろ？　それより、お前もう少し静かに喋れよな」
　有人さんは、これだけの事を囁き声で言った。そして雪洞の入口へ近付くと、そっと外を覗いた。やがて、足音を忍ばせて戻って来た有人さんは、
　「奴等の光がさっきよりも近付いて来た。グズグズしてるとここを見つかってしまう。我々は、二手（＊５）に別れて、ここを出よう」
　と、言った。そして、さらに続けた。
　「光は、三つ見えた。お前の話じゃ、奴等は三人というから、恐らく固まっているのだろう。私は、お前が縛られていた森の入口の方へ行く。お前は、ここを真っすぐ下りるともう一つ山小屋があるから、それを目指して下山しろ。外は月夜だ、明かりが無くても何とかなるだろう。今日中には私もそこへ行く。緊急の場合は私なんか構わずに、一刻も早く下山しろ。分かったな？」
　「はい」
　その間にも有人さんは、僕に手袋や靴下を渡し、ナップザックの中身を調べていた。そして、それを僕に渡した。こうしている内にも、ガザン星人はどんどん迫って来るのだ。僕等は急き立てられるように、雪洞の入口へ行った。
　「それじゃ、幸運を祈るぞ」
　そう言ったが早いか有人さんは僕等がやって来た方角へ向かって走り出した。その時、どこからか三筋の光が走った。
　（まさか、有人さん…）
　でも、もうぐずぐずは、していられなかった。僕は、雪洞の入口と平行になって走り出した。



＊１　　防寒用具に身を固めたガザン星人を形容した言葉。

＊２　　前にも書いてあるが、この時ミツ夫はミルネ、モルヒネ、チーフの存在しか知らなかった。

＊３　　ｖｏｌ，２「パーマンと朝鮮戦争」の一シーン（になるはずであった）

＊４　　バードマン（有人）は、普段は自称代名詞“あたし”で済ましているが、かなり心が揺れ動いている時等は“僕”になる。（しかし、私自身も、ＴＶで二回聞いただけである）したがって、“俺”と言っているくらいなのだから彼の動揺の程か分かるという物だろう。

＊５　　これは、完全に有人の失策だった。有人は自分が囮になって、ガザン星人をけむにまくか、バラバラにするつもりだったのだろうが、彼等はちゃんとその事を予測して、手を打っておいたのである。（これは、６章で明かされる）