６．　雪中の逃避行（２）


　雪は凍っているみたいで走りやすかった。僕は何度も後を振り向いたが、ガザン星人達の姿は見えなかった。その代わり、僕の目に映ったのは、月の光に照らされている自分の足跡だった。
　（しまった）
　とっさに僕はそう思ったが、いい考えも無いので、ともかく山小屋を目指して走り続けた。
　いい加減足が疲れてきた頃、遙か下方に白く盛り上がった物が見えた。僕は気を取り直すと、それに向かって歩みを早めた。

　やはりそれは、山小屋だった。中にあったマッチで薪に火をつけると、僕はその傍に腰を降ろした。しばらくすると小屋の中も温まって来た。自分に余裕が出て来ると、どうしても他人の事に頭が行ってしまう。
　有人さんは、ガザン星人に見つかったようだけど、上手く切り抜けられただろうか？　「今日中に戻って来る」と言ったけど、戻って来れるのだろうか？　今頃パーマン達や家族は、どうしているだろうか？　眠ろうにも眠れず、僕は考え込んでいた。

　朝が来た。食事を食べ終わっても有人さんは来なかった。でも、クヨクヨ考えていても仕様がないので、僕は小屋の中を整えたりザックの中を調べたりして、時間を潰した。
　その内に昼が過ぎ、日が傾いて来た。しかし、その頃になっても有人さんは姿を現さない。僕も、もうのんびり構えてはいられなくなった。
　特に天気が悪いというのでもない。時々にわか雪が降る程度だ。それならば、有人さんはどうして来ないのだろう？　もしかしたら、ガザン星人に捕まったのではないだろうか？
　（いや、そんなバカな事があるはずがない）
　僕は慌てて否定した。
　（きっと追っ手をまく為に、ここからかなり離れた所まで行ったんだ。だから帰って来るのに時間がかかるのだ。そうだ、きっとそうに違いない。だからもう少し、夜になるまでには帰って来るだろう）
　そう考えると、気持ちが楽になった。更に僕はこう考えた。
　（そうだ、有人さんは、きっと雪の中に長くいたんで凍えているだろう。もっと火を強くして小屋の中を温めよう）
　新しい薪をくべようとして、僕は薪が残り少なくなってるのに気が付いた。
　（そういえば、小屋の裏手に薪が積んであったっけ。少し取ってこよう）
　僕は外に出て、小屋の裏手に回った。回りついでに小便をした後、薪の山から一束薪を引き抜くと、それを抱えて小屋を回った。
　次の瞬間、僕は小屋の戸を見てビックリした。出て行く時、僕は薪が運びやすいように戸を開けておいたはずなのだが、それが閉まっているのだ。だが、風が周りの木のこずえを揺らして行くのを見て、僕はこう思った。
　（ああ、風の仕業だな）
　そう思ったすぐ後に、僕の頭にもう一つの考えがひらめいた。
　（もしかすると、有人さんかも知れないな）
　ふと前方を見ると、僕と反対の方向から、ずうっと足跡が戸の所まで続いている。僕は勇んで戸の前に立った。
　その時だ。戸が、いきなり開け放たれた。
　僕は思わず、
　「有人さん！」
　と叫んだ。だが、その目の前に現われたのは銀色の銃の筒先だった。
　僕は思わず、薪を取り落としてしまった。暗闇の中から、一人の男が姿を現した。そして皮肉っぽく言った。
　「“有人さん”じゃなくて残念だったな」
　「一体、おじさんは何者？」
　最初のショックが過ぎると、僕はようやく口がきけるようになった。
　「俺は、ガザン星人さ」
　また、僕の全身をショックの波が揺さ振った。
　（それじゃ、あの三人だけじゃなかったんだ）
　その、僕の思いを確かめさせるように、男の声がまた響いた。
　「驚くのも無理は無いな。今まで姿を見せなかったのは下界（＊１）の監視専門だったからさ」
　「有人さんは？　他のガザン星人達はどうしたの？」
　僕は、寒さと恐ろしさに震えながらこう尋ねた。
　「山小屋さ。それにしても、これはちょっとしためっけもんだったな。早速連絡したから、今頃は仲間達もこっちへ向かっている事だろう。さぁ、中へ入りな」
　その時まで、僕は逃げだそうと思いながら、手足が動かなかった。が、その言葉を聞いた途端、金縛りが解けたみたいに、不意に体が自由になった。僕は、さっき取り落とした薪の束を取り上げると（どうしてあんなに素早い動きが出来たのか、今だに不思議でしょうがない）そのガザン星人の体目掛けて投げ付けた。
　薪は男の上半身に当たった。縄が解けて、薪はバラバラになって落っこちた。男は銃を落としてうずくまった。僕は、落ちた銃をひったくるように取り上げると、そのまま後も見ずに走り出した。

　僕は足がもつれて、もう走れないと思うくらいに走ってから、やっと雪の上に腰を降ろした。そこで、初めて僕は辺りの景色を見回した。いつの間にかまた森の中に入っていた。勿論、場所は分かるよしもなかった。
　見渡す限り雪をかぶった木々が連なっている。どうやらここはかなり森の中らしい。　僕は、しっかりと握り締めていた銃を取り上げてみた。見た目は軽そうだったが、以外と重かった。見た所では、地球の銃とも違うし、変身銃とも違っていた。多分、レーザーガンか何かだろう。僕は、それをヤッケ（＊２）のポケットに入れて、チャックを閉めた。体の片側がズンと重くなったような感じがした。
　いつの間にか、辺りは暗くなっていた。足の疲れは大分とれたけど、今度は背中が冷たい。走り過ぎて汗をかいたのが、この寒さで冷たくなってしまったのだろう。でも有人さんのヤッケのお陰で、下半身が冷えるのは免れていた。
　（それにしても有人さんは…）
　僕の頭に、またしても有人さんのイメージが浮かんだ。
　（やっぱり、捕まっちゃったんだな。もし逃げ出したとしても、もう一度僕と巡り会うなんて、こんな所にいたんじゃ不可能に等しいなぁ…。でも、もう一度、奇跡が起こって欲しい！）
　そう僕が心の中で叫んだ瞬間、お腹の鳴る音がそれに答えた。
　（そうだ、もう夕飯時だっけ。何か食べられそうな物、ないかなぁ）
　でも、あるのは雪と木ばかり。諦めた僕は少しでも寒さを防ごうとヤッケのポケットに手を突っ込んだ。そのポケットに入れた指先が、ある物に触った。右側の物は銃だと、すぐに分かった。しかし、左側の物は、何だか分からない。僕は恐る恐るそれを引っ張り出した。そして、そのあまりの手際の良さに驚いた。
　それは、ピーナッツの袋だったのだ。しかし、半分程有人さんが食べたらしく、口が縛ってあった。まぁ、何はともあれ、食べ物があったのはめっけもんだ。僕は口を解くと、食べ始めた。だが、半分程食べた所で、僕の頭にこんな考えが浮かんだ。
　（これから、何日食べ物に有り付けない日が続くか分からない。もうこの辺で止めとこう）
　僕は、また元のように口を縛ると、ポケットにピーナッツの袋をしまった。

　もう、夜もかなり更けている。じっとしていると寒いし眠くなって来るので、僕は寄り掛かっていた木の周りを、グルグルと歩き回っていた。でも、どちらの方も益々強くなって来る。その上に空腹まで加わって来て、もうたまらない。　僕は、一旦歩みを止めて、木の幹に片手を掛けた。そして空を見上げた。そこには、地面と見分けがつかない程、灰色の雲がたれこめていた。今にも、雪が降って来そうな、そんな空だった。
　（もう何時頃だろうか？　みんなはもう眠ってるんだろうな。それなのに、こっちときたら…）
　頭の芯が重くなって来た。僕はいつの間にか、雪の上に膝をついていた。目蓋がものすごく重くて、目を開けていられない。
　（このまま眠ったら、死んじゃう）
　そんな声が頭の片隅で聞こえるのだが、それよりも眠気の方が強かった。いつの間にか眠りこけていて、全身が身震いしたのでハッと目をさます、それの繰り返しだった。
　（何か、いい方法ないかなぁ？）
　また眠り込みそうなので、木の周りを歩き回りながら、僕は考えた。
　（そうだ、歌を歌おう。声を出していれば、少しは眠気も吹っ飛ぶだろう）
　この時、何故か（ガザン星人に見つかるかも知れない）という気持ちは無かった。
　僕は、歌い始めた。
　（知っている限りのものを歌い尽くすまでには、夜も明けるだろう）
　そう思った。時々、声が小さくなると、意識的に声を大きくした。

　《これを書いていて思った事だが、あの日から助かる日までの約三日間は、何度も何か“大きな者（＊３）”に助けられたような気がするのだ。いつもの僕だったら、もうこの時にダウンしていただろう。今まで僕は別に“神様”の存在など考えた事は無かったが、この事件の後は、そうもいかなくなってしまったような気がする》

　次の日は、朝方から雪が降り始め、それが吹雪になって歩く事も出来なくなった。僕は仕方なく、またある木の根元に腰を下ろして、吹雪が過ぎ去るのを待っていた。

　吹雪は、夕方頃止んだ。僕は、まだ明るい内に、少しでも歩いておこうと思って立ち上がった。手足がむずかゆかったのが、いつの間にかとれていた（＊４）。
　僕が歩いて行く内に、急速に空が暗くなって来た。どうやら今夜も野宿らしい。僕はまた木の下に座り込んだ。
　ポケットから、ピーナッツの袋を取り出した。まだ、底の方にいくらか残っていた。僕はそれを食べ尽くすと、袋を丸めて投げた。
　それは、近くの木の幹に当たって雪の上に落ちた。少し喉が乾いたので、手で雪をすくって食べた。雪洞に泊まった日に、有人さんが「雪をそのまま食べると体に良くない（＊５）から、溶かして飲むんだ」と言っていたが、この場合は仕方がない。
　ふと、僕の頭に、こんな思いがきざした。確か昨日は歌を歌って、朝を待ったのだが、丸一日眠っていないので、今夜はどうなるか分かった物じゃない。ともかく僕は、
　（今夜も同じ事をやろう）
　と思った。

　その夜の事は、何故か良く思い出せない。ハッキリ思い出せるのは、次の日の朝、うつらうつらしていた僕の頭の上に、いきなり木の枝に積もった雪が落ちて来て、ビックリした所からだ。
　僕はハッとして立ち上がろうとしたが、手足が凍えていて中々立ち上がれなかった。でもしばらくすると、手足の方も動くようになった。
　東の空に、ぼやけたような太陽が見えていた。
　（どうやら今日は、晴れそうだ）
　僕はそう思うと、立ち上がって、また歩き出そうとした。だが、全身がフラフラして、思うように歩けない。太陽ばかりではなく、森の木々も、一様にぼやけて見えた。
　（どうしたんだろう？　丸二日ろくに眠ってないから、目が疲れちゃったのかな？　でも、ここにいつまでもいる訳にはいかないんだ。なんとかして、誰かに助けて貰わなきゃならないんだから。それに、ガザン星人だって、こんな天気じゃ、きっと僕を捕まえに来るだろう。だから、早くここから脱出しなきゃ）
　僕は木の幹につかまりながら、少しずつ歩いて行った。

　森をとうとう抜けた。僕の目の前には、雪原（＊６）が広がっていた。僕は支えがなくなったのが心配だったが、ともかく歩き出した。でも、いつまでたっても、見えるのは雪ばかり。太陽は、もう空高く昇っている。
　僕は、雪の上に腰を下ろした。雪がチカチカ光って、目が痛い。頭ももうろうとしている。熱があるらしい。手を額に当ててみると、燃えるように熱かった。それなのに、全身はブルブル震えている。初めは寒さのせいだと思ったが、どうやらこれも熱のせいらしい。手足はグッタリと疲れ果てているような感じがする。その上、お腹がキリキリという音をしきりに立てていた。
　空腹を紛らわす為に、僕は傍の雪を手で掴み取って食べた。でも雪はすぐ口の中で解けてしまい、ちっとも物を食べた感じがしなかった。
　なんだか、全身から力が抜けて行くようだ。僕はそれを堪えて、また立ち上がろうとした。だが、駄目だった。
　（でも、僕は歩かなきゃいけないんだ）
　僕はようやく立ち上がると、また歩き出したが、数歩と行かない内に足がもつれ、ドサリと倒れた。
　（もう、僕は駄目かも知れない）
　僕はそう思うと目を閉じた。もう目蓋を明けている事が出来なかった。
　死ぬ前には、決まったように過去の色々な事が「走馬灯のように」頭の中を掛け巡るという。僕にも、ちょうどそのような現象が起こった。
　僕の頭の中で、今まで十二年間の思い出が浮かんでは消え浮かんでは消えて行った。そして僕の周りにいた沢山の人々の姿も、同じように現われては消えて行った。
　最後にその人達が、僕の家族を中心にして現われた。そして、僕の周りを無言で取り巻いた。
　（みんな、ごめんなさい。僕、精一杯がんばったんだけど、もうヘトヘトになっちゃったんだ）
　その人達に向かって、僕は夢中で話続けた。
　（ブービー、パー子、パーヤン。早く有人さんを助けてあげて。きっとあの山小屋で、みんなの助けを待っていると思うんだ。僕を助けたばっかりに、こんな事件に巻き込まれてしまって…有人さん、ごめんなさい！）
　幻の中には、何故か（＊７）有人さんの姿は無かった。
　（それから、ママ、パパ。僕がこんな事になったからってパーマンの事を悪く言わないでね。パーマンには、何の責任もないんだから。最後にミッちゃん…）
　その時、フッと幻が消えた。
　（みんな、行かないで！　ミッちゃん！）
　その叫びを最後に、僕は何も分からなくなってしまった。

＊１　　彼は、今まで下界の状況を山小屋に連絡していたのだが、ミツ夫脱走の知らせを受けてから登山し、チーフ達と二人を挟み撃ちにするつもりだったのだろう。

＊２　　これ程、本部を面食らわせた言葉もないだろう。（ｖｏｌ，４へ）

＊３　　この辺は、７章、８章でもっとハッキリするが、私は、彼自身もソウルから釜山まで三五○�qの道程を歩き通した経験で、精神的にいくらか強くなっていたと思う。（ｖｏｌ，２へ）

＊４　　凍傷の前兆。

＊５　　これは、私の体験からも明らかである。

＊６　　本当の意味は、ここで書いているのと違う。（ここでは、単なる雪の積もった原である）

＊７　　この時、有人自身は気を失っていたと考えられる。（８章へ）