８．　最後のめぐりあい


　僕は、有人さんの傍に座り込んだ。上の崖から落ちたのだろうか？　どうやら命には別状ないらしい。それよりも僕は、鼻や手の指が紫色になっているのが気になった。
　何はともあれ、有人さんを起こさなければならない。僕は有人さんの体を何度も揺すぶった。やっと目を覚ました有人さんは、自分を起こしてくれたのが誰なのか分かると、
　「何だ、お前まだこんな所でグズグズしてたのか？」
　と言った。
　「『こんな所で』って言うけど、そういう有人さんは何なの？　こんな所でのびちゃっててさ」
　僕も負けじと言い返した。
　「これでも、こっちはガザン星人の所から脱走して来たんだぞ。並大抵の苦労じゃなかったんだから」
　「じゃやっぱり、あの後捕まったの？」
　「ああ」
　有人さんは、手で服についた雪をはらい落としながら、話し始めた。
　「私は、あの後捕まって、アジトになってるあの山小屋に連れて行かれたんだ。いやぁ、奴等は私の正体（注１）まで見抜いていたよ。でも、こっちはシラ切ってたけどな。ともかく私は、地下室に放り込まれた。もちろん、両手両足を縛られてさ。それから丸一日、私は、ほったらかしにされたのを幸いに、何とか手足の縄を解こうとした。でも、これがなかなか解けない。おまけに“ほったらかし”という事は“飲まず食わず”という事につながるから、私は次第に力が無くなって来た。どうやら私一人の力じゃ縄は解けそうにない。だから私は、壁で出っ張っている所はないかと考えて、苦労して立ち上がると、壁に体を付けるようにして出っ張りを探した。だが、何処にもそんな物は無い。絶望しかけた私の足下が、ふと何かにぶつかった。もちろん、真っ暗だから、その物こそ見えなかったが、音で私は瓶だと直感した。屈んで目を近付けてみると、はたしてそれは空き瓶だった。それが、私のいる辺りに数本転がっている。途端に、私の頭にアイディア浮かんだ。私はその内の一本を掴むと、思いっきり傍にあった布切れの上に叩きつけた。何度かやっている内に、見事にそれは粉々になった。上では何も気付かれなかった。これ幸いと私は、瓶のカケラの中から鋭そうなのを取ると、それを縄の所に当たるようにした。そして、それをナイフ代わりにして縄を切ろうと試みた。並大抵の苦労じゃないというのは、ここなんだ。瓶のカケラを縄に当てるまでに何度も落っこどして、一からやり直したし、縄を切る時も、しょっちゅう縄じゃなくて手首の皮を切ってしまったんだ。ほら、これがその証拠さ」
　有人さんは、手を僕の前へ突き出した。見ると、縄の後らしい赤い輪の周りに、幾筋ものミミズ腫れが走っている。（有人さんの話は、オーバーじゃないな）と僕は思った。
　有人さんの話は続く。
　「根気よくやっている内に、ようやく手の縄が切れた。初めの内は腕が痺れてて、思うように動かせなかった。けれども、まだ足が残っている。私は、腕を無理にでも動かして足の縄を解こうとした。足の縄が解けた頃には、かなり痺れも取れていた。後は、ガザン星人が来るのを待ち構えていて、そいつを倒して脱走するのだ。私は元の場所に戻ると、毛布をかぶって、寝息などたてながら、ガザン星人が来るのを待った。手には、武器になる空き瓶を握っていた。その内、やっと梯子の上げ蓋の開く音がした。上から、足音が聞こえて来ると、それは私の前で止まった。私は、男が屈み込んだ気配がしたので、いきなり起き上がると、空き瓶で後頭部を殴り付けた。男は巧い具合に倒れて、気を失ってくれた。私は、男の顔を覗き込んだ。そこで私は、またいい事を思いついた。私は、まず男の体を縄で縛る前に、その服を脱がしてそれを私が着た。ついでに、何か武器は無いかとあちこちを探っていたら、男が少し呻き声を上げた。私は慌てて男の体を縛ると、梯子をよじ登った。梯子の上げ蓋を私は上げた。部屋に居た二人が、私を見た。が、私とは気が付かなかったらしく、すぐに私から目を離した。一人が話し掛けて来た」

　「ミルネ、奴はどうだった？」
　「はぁ、気を失ってます。意外とだらしのない奴でして」
　「何処へ行くんだ？」
　「ちょっと、外を一回りして来ます」

　「私は、聞き覚えていた男の声を出来るだけ真似しながら山小屋の戸を開けて外へ出た。そして、戸を閉めるや否や、近くの森に向かって、一目散に走り出した。しかし、それからいくらも経たない内に、向こうも私の脱走に気付いたらしく、背後に迫って来る気配がするのを私は感じた。後ろを振り向いた私は、ガザン星人達の姿を見た。それからは三人対一人の、必死の鬼ごっこが続いた。何しろ、向こうは何にしても私よりも優れている。一方、私は足の痛みと、空腹に耐えながら、半分気力で走ってるような有様。これじゃ、どっちが有利かは、目に見えている。私とガザン星人達との間は次第に縮まって来た。そして、ついに私は、この崖の上に追い詰められてしまったんだ」
　有人さんは言葉を切ると、崖の上を見つめた。
　「それで、ここに落ちたの？　それとも落とされたの？」
　僕の質問に答えて、有人さんは話を続けた。
　「落ちたんだ。崖の上に追い詰められて、どうしようかと迷ってる内に、ガザン星人達が、銃を構えてジリジリと迫って来たんだ。それで、思わず一歩後ろに下がったら、そこはもう空中。下が吹き溜まりだったから良かったものの、そうじゃなかったら、大怪我してただろうな。さてと、これで私の話しは終わりだ。次は、ミツ夫の逃亡談を聞かせてくれないか？」
　僕は有人さんに問われるままに、自分の逃亡談を話した。
　話が終わりかけた時だった。いきなり僕等の近くで、風を切るような音がして、白い玉が上空から降って来た。僕は崖の上を見た。
　黒い人影が崖の上に見えた。と、有人さんもその人影に気付いたらしく、僕にこう言った。
　「やれやれ。また、ガザン星人のお出ましか」
　「でも、捜索隊がやって来たのかも知れないよ？」
　僕は、反論した。
　「それなら『オーイ』とか何とか、声を出すはずじゃないか？」
　「でも…」
　また反論しようとした僕だが、次の有人さんの言葉で、諦めた。
　「そりゃぁ、お前がいい加減にガザン星人から逃れたいのは分かるさ。でも、現実には立ち向かわなきゃいけないからな。ミツ夫、ちょっと手を貸してくれないか？　あの岩の傍まで行きたいんだが、挫いたらしくて、足が言うことを聞いてくれないんだ」
　僕は有人さんに手を貸して、立ち上がらせた。そして雪に埋もれかけている岩の陰に腰を下ろした。その時、また雪玉が岩に当たって砕けた。そして、今度はガザン星人の声が聞こえて来た。
　「そこの二人。命が惜しけりゃさっさと出て来るんだな」
　かなりドスを効かせたチーフの声がした。
　（冗談じゃない。どうせ、ろくな真似しないんだから）
　心の中でこう呟きながら、僕は有人さんを見た。有人さんは僕を見つめて話し出した。
　「私は、あんな奴等は無視するつもりだ。お前だってそうだろう？　でも、このままじゃにっちもさっちもいきやしない。あそこからじゃガザン星人達も下りては来れないだろうが、お前が下りて来たルートを発見されたら、おしまいだ。もしかしたら、戦うつもりかも知れない。一応、覚悟だけはしていた方がいいだろうな」
　「でも、どうやって戦うの？　僕等、武器なんて持ってないんだよ？」
　「天が正義の味方なら、天が武器を与えて下さるよ」
　有人さんは、そう言って、軽く微笑んだ。
　上でも話し声がしていたが、いつの間にかその声が止んでいた。
　（まさか…）
　僕と有人さんは、同じ不安にかられて、顔を見合わせた。
　その時だ。僕等の隠れている岩のてっぺんに、一筋の光がぶつかった。それは、てっぺんの雪を溶かして行った。続いて、二発、三発と、続けざまに光がぶつかった。だが、どれも、岩の天辺を砕いただけだった。
　どうやら、ガザン星人達は、まだ本気で僕等を撃つ気は無いらしい。
　そこまで考えた時、僕はふと、自分も銃を持っていた事を思い出した。そこで、有人さんにその事を言うと、銃を渡した。有人さんは、しばらくそれをひねくりまわしていたがやがて顔を上げると、こう言った。
　「レーザーガンだな。こういうのは下手に使うと、相手を刺激するだけになる。本当に命が危なくなった時、一発で決めなきゃならないな」
　「決めるって…まさか…」
　僕は心配になって尋ねると、有人さんは、
　「バーカ、何言ってるんだ。相手が銃を使えなくするだけさ」
と言って、僕に銃を渡した。
　「しかし、ここに問題が一つある」
　有人さんはそう言って、また難しい顔をした。
　僕は、また不安になって来た。
　「私の手では、銃を撃つ事が出来ない。ご覧の通りの有様だからな」
　有人さんは、僕の目の前に両手を広げて見せた。その手は膨れ上がっていた。
　「と、いう事は、僕がそれをやるって事になるの？」
　僕は、有人さんの手と、自分の手を代わる代わる見ながら言った。
　「ああ」
　「そんな！　僕、コントロール悪いし。もし間違って相手を傷つけたりしたら……」
　僕は焦って、有人さんに突っ掛かった。
　「いざとなったら、そんな事は、言ってられないんだよ。まぁ、出来れば、そうならないように願うがな」
　「お喋りは、そこまでにして貰いましょうか」
　不意に、さっきよりは二倍も大きいチーフの声が、僕等の正面から聞こえて来た。顔を上げて見ると、ちょうど岩を取り囲むように、四人のガザン星人が、銃を構えて立っていた。どうやら、銃のスペアがあったらしい。
　「さあ、その銃をこっちへ渡すんだ」
　また、チーフの声がした。僕は銃を握り締めた。もし、向こうが手荒な事をしたら撃つつもりだった。だが、いきなりチーフの手が伸びて、あっという間に、僕の手から銃をもぎ取った。ハッとして後ろを見ると、ミルネとモルヒネが僕等の後ろで首筋に銃を突き付けていた。万事休すだ。
　「さぁ、立て」
　チーフが命令した。
　「こっちは、足挫いてるんだけどな」
　有人さんの呟きを聞いたチーフは、
　「エール、手を貸してやれ」
　と言ってから、今度は僕を睨み付けたので、僕は仕方なく立ち上がった。そして、エールと反対側の方に立って、有人さんの腕を取った。その時だ。有人さんが呟くように言った。
　「あの音は…」
　僕は耳を澄ませたが、何も聞こえてはこなかった。チーフが、
　「何やってんだ！　さっさと歩け！」
　と命令した。しかし有人さんは、崖の上の方を見つめたままだった。エールが強引に歩き出したので有人さんはよろめいた。だが、有人さんはよろめきながらこう叫んだ。
　「雪崩だっ！　真っすぐこっちへ向かっている。大きくなるぞ、これは！」
　雪崩と聞いて、全員の顔が緊張した。
　「雪崩だと…そんな事を言って、誤魔化そうとしても…」
　チーフがこう言っている内に、今度は、ハッキリと「ドドドド」というような、鈍い音が聞こえて来た。崖の遥か上方で、モヤモヤと白い煙のようなものがたっている。
　「畜生、こんな時に…ともかく安全な場所に退却だ！」
　「隊長、こ奴等は…？」
　エールの問いに、チーフはこう答えた。
　「足手まといだ、ほっぽっとけ！」
　「はっ」
　エールは、いきなり有人さんの肩を離した。
　有人さんは、雪の上に膝をついた。僕もあおりをくらって雪の上に倒れた。ガザン星人達は、さっき僕が下りて来たルートの方へ走って行った。
　その内にも、雪崩の音はどんどん近付いて来る。僕は起き上がると、有人さんに手を貸して立ち上がらせた。僕は、それからもう一度上を見てみた。音も雪煙も、さっきより近付いている。有人さんは、かなり口早にこれだけの事を喋ると口を結んだ。
　「私はもう逃げられないな。後はアルバ様（＊１）の御加護を望むのみだ。しかしミツ夫、お前はどうしてもいいんだぞ」
　「それじゃ僕、ここにいる。何処へ行っても、ロクな事になりそうにないし」
　僕は、有人さんの傍に腰を下ろした。有人さんは口を動かして何か言おうとしたが、その時、雪崩の音がいきなり大きくなった。
　「落ちて来るぞ」
　有人さんは低い声で言った。僕はその手にしがみついたが、有人さんは僕が掴んでいない方の手を胸に当て、怪我していない方の足を立てて祈っているような姿勢を取った。
　次の瞬間、ドサドサッという音とドドドドという音とが一緒になった。僕は有人さんの手に一層強くしがみつき、目をつぶった。
　「アルバ様！　お救けを！」
　という有人さんの叫び声が一瞬聞こえたように思ったが、すぐに、雪の音が鼓膜を突き破らんばかりに響いて来た。僕はそのまま何も分からなくなった。

　目の前が真っ白だ。体が、やたら冷たい。息が苦しい。
　（埋められたんだ。早く地上に出なきゃ）
　僕の指は、有人さんの手を掴んでいたはずなのに、いつの間にか雪を掴んでいた。
　不意に、上から手が伸びて来た。僕は反射的にその手を掴んだ。グイと、その手が上に引き上げられた。僕も夢中でもう片方の手で雪をかいた。
　あっけなく頭が上に出た。有人さんが上からホッとしたというような表情で、僕の顔を見ていた。僕は有人さんの手を振り払うと、後は自分で体を出した。
　「運が良かった。我々は雪崩の端の方に巻き込まれたんだ。ほら、右を見てみろ」
　僕は言われた通り、右の方を見た。雪の量はさっきと対して変わっていなかった。
　「それじゃ、ガザン星人達は…」
　僕の問いに有人さんは笑いながら答えた。
　「もちろんお陀仏さ。だから言ったろ？　『天が武器を与えてくれる』って」
　「それじゃ、有人さんは雪崩が起こるって事を予知してたの？」
　有人さんは、その問いに笑って答えなかった。
　その有人さんが、ふっと笑い声を止めた。
　「有人さん、また雪崩？」
　僕は心配になって尋ねたが、有人さんは、目を空に向けながら囁いた。
　「いや違う。ほら、あの黒いもの」
　僕は、有人さんが指差す方向をじっと見つめた。目がぼやけて良く分からなかったが、黒いものが飛んでいるのが分かった。どうやらそれは、少しずつこちらに近付いて来るらしい。
　突然、有人さんが叫び始めた。
　「オーイ、ここだ。ここにいるぞー！」
　僕は、一体何処に捜索隊がいるのか、分からなかった。ぼんやりしている僕を有人さんが、
　「ほら、何ぼんやりしているだ？　早く声を出せ！」
　と急き立てたので、僕は有人さんの真似をして、叫んだ。
　上空の黒い点が、急に大きくなった。その時、僕はそれが何者だかハッキリ分かった。それは、三号だった。
　「おい、気が付いてくれたぞ！」
　有人さんが、顔をほころばせながら僕に言った。僕は、ただ茫然としていた。まるで、これも夢を見ているみたいだった。その時だ。
　「有人さん？！　それに、ミツ夫さん？！　貴男どうしてここに…？」
　紛れもない、三号の声だった。
　僕が立ち上がって駆け出したのと、三号が僕等の方へ向かって駆け寄って来たのと、どっちが先だったかは分からない。でも、とにかく僕は、三号の手を握り締めていた。
　（これで、何もかも終わったんだ…）
　僕の全身から、力が抜けた。最後に僕が感じたのは、三号の体の暖かさだった。

＊１　　バード星の主要教、エリシャ教の最高神の名。運命の神とされている（vol,1へ）